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승정원일기 52책 (탈초본 953책) 영조 19년 1월 14일 기사 19/21 기사 1743년  乾隆(淸/高宗) 8년

    ○ 吏曹判書閔應洙疏曰, 伏以神明默佑, 春宮疹候, 快臻平復, 賀儀將擧, 臣民慶忭, 曷有其極? 仍竊伏念, 臣情迹危蹙, 罪戾增積, 冒陳血懇, 冀被嚴譴, 而微誠未格, 尙靳鞶遞, 天牌荐辱, 督令開政。臣誠迫隘, 變動無路, 日再違召, 誅殛是俟。伏聞日昨筵中, 聖敎極嚴, 至有重推特招之命。臣於此, 尤切惶蹙, 罔知所以自措也。噫, 臣以私義言之, 則政官瓜期, 例以都目爲限, 而當初冒出, 只爲挨過是政, 則尙爾蹲冒, 至經兩都目, 已非始慮之所及, 而今又貪戀低徊, 久居睢盱之地, 不知所以自處, 則眞是無恥之鄙夫。臣雖庸愚無守, 決不忍爲是也。若以公體論之, 則朝家用人, 全責銓地, 權衡甄選, 宜不容私, 一或差謬, 罪固罔赦, 而顧臣身爲銓官, 莫念公器之至重, 不體聖意之飭勵, 徒循委曲之私, 以長貪競之風, 則其罪果將何如耶? 臣之罪犯, 大臣姑不歷擧指斥, 則臣未詳知爲何事, 而人見各異, 險道難平, 許多注擬, 一一摘抉, 則大臣之不厭, 亦勢所然也。雖以筵席諸臣之所達觀之, 毋論事之巨細, 偏私之誅, 臣實難逭。大僚之於庶官, 節目間差失, 猶可以事體, 董飭責勉, 而至於政官之循私蔑公, 此何等重罪? 而乃可諉之於細瑣, 歸之於責備, 而强爲寬恕乎? 傳曰, 疑之勿任, 大政將迫, 大臣預以爲慮, 至請申飭, 則其所爲政可知, 其見疑於大臣有素矣。臣雖無似, 職是冢宰, 凡厥政注, 必待大臣之請飭, 而後始乃畏憚而不敢爲非, 則其決難委以政柄也, 明矣。事當直請斥退, 何以只請飭勵乎? 況前旣論斥其不公, 後又警飭其懈弛, 而猶不知悛, 終未免又煩箚劾。此苟非下愚不移, 則實爲無忌憚之人, 夫豈有責備之可論哉? 士大夫之辭受出處, 實關世道, 今臣之抵死自劃者, 秪以典憲難以撓屈, 廉隅難以放倒, 而大臣一邊加之以不韙之目, 亦不明言其所坐之事。所謂委曲二字, 必有所指, 貪競之習, 想亦有其人, 而咫尺俯詢之下, 有何難處之端, 而終不仰對? 臣誠莫曉其故。果是大傷事面, 而決難出口之言, 則初何以登諸章奏, 而亦何以謂箚中請罪, 不過事體乎? 縛束則深緊, 而辭意則隱謎, 令人疑眩, 無以自卞, 而反欲曲爲䌤縫[彌縫], 以開其冒進之路。不但臣之罪名, 䵝昧未白, 亦非大臣秉公嚴正之體, 豈臣平日行己, 見輕於人, 姑欲羈絆驅駕, 使受其鞭策陶甄乎? 一段羞惡之心, 臣亦不至盡泯, 尙何忍幸其外面之假借, 强作自解之節拍, 乍入旋出, 有若桔槔之隨人而俯仰? 設今臣全沒廉恥, 徒貪榮祿, 包羞戴罪, 逶迤復進, 黔驢之技止此, 竊鐵之疑常在, 觸境生疣, 隨事求疵, 則臣恐大臣將不勝其箚論, 而臣亦將畢竟自陷大戮而後已。臣身狼狽, 固不足恤, 而聽聞之駭惑, 淸朝之羞辱, 莫甚於此。以聖上體下之仁, 何不早賜處分, 諉以大臣之無深意, 而唯事强迫, 使之轉入於坎窞, 徒傷國體乎? 臣之必遞, 卽擧世之所共知, 銓席一步, 便作十重鐵壁。特牌今雖連降, 而匹夫之守死難變改, 分義之嚴, 有不暇顧, 又不免荐犯違逋。陳賀盛儀, 只隔一日, 大小同忭, 而以此情勢, 亦無以趨參於大庭嵩呼之列。臣罪上添罪, 情禮俱缺, 跼蹐高厚, 求死不得。玆敢不避僭猥, 更且自列。伏乞聖慈, 曲垂諒察, 亟削臣所帶職名, 仍勘臣前後負犯, 以嚴邦憲, 以安微分, 千萬幸甚。答曰, 省疏具悉。旣諭, 其撕捱極涉過矣。開政命下幾日, 違牌爲事, 其在事體道理, 亦涉寒心。卿其勿辭, 卽爲擧行。

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