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승정원일기 53책 (탈초본 972책) 영조 20년 5월 18일 을미 28/29 기사 1744년  乾隆(淸/高宗) 9년

    ○ 副提學尹鳳朝疏曰, 伏以臣田野之一逋臣也, 情病危苦, 理不可復玷周行, 而職名未解, 寢夢靡寧。曾因道臣之狀聞, 附陳病情, 冀蒙恩遞, 而顒俟累月, 迄未聞處分之旨, 臣心悚蹙, 尤無以自措矣。忽伏聞聖體違豫, 藥院移直, 忍死擔舁, 來伏城外, 而幸賴上穹默佑, 聖候遄復, 中外慶抃, 曷有其極? 顧臣罪咎癃癈, 本不以平人自居, 人亦不以人理見責, 其始之來也, 旣不敢進簉禁庭, 以盡起居之禮, 及今百僚之稱慶也, 又不敢留待賀班, 以伸舞蹈之誠。況其旅邸淹病, 實有死之慮。勢到築底, 轉身無地, 終不免投章自劾, 徑尋鄕路, 而章阻喉司, 未獲登聞。進退無所控, 罪戾無所勘, 跼蹐高厚, 誰爲因極? 歸伏病枕, 萬緖縈懷, 回望雲天, 精爽飛越。竊伏想大庭嵩呼之列, 簪笏咸集, 歡聲殷地, 而臣獨病與死隣, 形拘勢阻, 若不知有大慶者然, 有臣如此, 生不如死。雖或聖度曲諒, 不欲遽置之厚誅, 而臣縷息旣存, 亦何敢爲倖免之圖哉? 伏乞聖慈, 亟降威命, 先治臣罪犯, 以勵臣工。仍命刊削臣職, 更勿檢擧, 俾得安意退死於溝壑, 誠不勝大幸。臣無任云云。無批答。

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