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승정원일기 53책 (탈초본 973책) 영조 20년 6월 14일 경신 24/25 기사 1744년  乾隆(淸/高宗) 9년

    ○ 檢閱李永祚疏曰, 伏以臣之謏才蔑學, 晩竊科第, 猥玷藝選, 揆以微分, 固知踰溢, 而前後勅敎之下, 嚴畏分義, 終不免黽勉承膺。其苟然冒充之愧, 臣亦自知, 何待人言? 噫, 剡薦之規雖變, 責任之重猶前, 則如臣等輩, 誠不宜濫竽其間。譏評之來, 臣實愧謝, 面弁髦廉隅, 義所不敢, 擅出禁門, 屢違嚴召, 論其負犯, 合被重刑。不意例勘猶靳, 特敎連下, 至以其何毫分撕捱爲敎, 繼以召牌儼臨。臣於此, 惶隕恧蹙, 益不知所以自措也。日昨臺疏, 語意混圇, 選中諸人, 雖不指名論斥, 其必欲沮敗全圈之狀, 昭然難掩。而及至登筵承問之後, 始乃强意區別於同選之中, 則原其疏中之當初指意, 豈亶在於彼三人? 而今日臣名之不竝現出者, 亦豈非倉卒彌縫, 苟掩其本心之計也? 此固不待臣自言, 聖鑑已照燭無餘矣。臣雖無恥, 其何可諉以倖免指辨, 獨自揚揚, 以自喪其廉義, 重貽羞於史局也哉? 木天一步, 鐵壁十重, 去就之節, 無可更論。荐召之下, 隨詣闕外, 略暴危懇, 仰瀆於靜攝之中。伏乞聖慈, 亟命削臣職名, 仍勘臣前後違慢之罪, 以謝人言, 以肅朝綱, 千萬幸甚云云。答曰, 省疏具悉。其何撕捱? 爾其勿辭, 從速察職。

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