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승정원일기 53책 (탈초본 974책) 영조 20년 7월 2일 정축 31/33 기사 1744년  乾隆(淸/高宗) 9년

    ○ 行修撰洪益三疏曰, 伏以臣之草草一疏, 固已後時, 寥寥數語, 亦無足觀, 而耿耿血忱, 只爲聖明惜過擧耳。及承批旨, 誨責截峻, 至以武臣黨習, 專由爾輩之導成, 何暇勉君爲敎。臣奉讀未半, 慙惶悸恐, 不知所以自措也。夫黨習之可惡, 臣非不知, 而在武臣, 則其爲可惡, 尤有甚焉。不惟殿下惡之, 臣亦惡之。第伊日擧措, 不但不得祛黨之要道而已。只成得殿下一層無前過中之擧, 故其所以仰勉者, 深有望於殿下愼擧動服衆心之道矣。乃以萬萬情外之敎, 嚴加摧抑, 臣實愕然失圖, 繼之以抑塞也。仍竊伏念, 近來言路未開, 喑默成風, 試以日昨筵敎見之, 聖上亦歎其無一言匡救者, 此其故, 豈難知哉? 殿下每於過擧之時, 威怒遽震, 譴罰暴加, 使諸臣魄奪氣喪, 不敢出一言措一辭, 一番二番, 一事二事, 馴致於今日之委靡而極矣。此臣所以夙夜憂歎, 有賈生痛哭流涕之忱, 而聖上儻或念及於此, 亦必惕然而慮, 愀然而懼矣。如臣昨疏牽率拙陋, 不過爲塞責之歸, 本不敢自擬於陳戒之言, 而殿下猶且非斥之拒絶之, 使不敢更有所言。苟使臣誠信上孚, 則宜不至此, 此誠臣罪, 羞愧欲死。而臣愚死罪, 竊以爲有累於聖上來諫之德, 亦不細也。臣惶蹙之餘, 實不勝其慨然, 衷情所激, 復此妄發, 此又臣之罪也。伏願殿下, 更加三思, 勿以人而廢言, 克恢轉環之量, 以盡敦復之義焉。今以闕直, 天牌降臨, 而旣承嚴敎, 勢難冒進, 隨詣闕外, 拜章徑歸。亦願聖明, 亟賜勘處, 以勵臣工, 不勝幸甚。臣無任。

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