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승정원일기 54책 (탈초본 988책) 영조 21년 7월 25일 을미 19/19 기사 1745년  乾隆(淸/高宗) 10년

    ○ 副修撰趙明健上疏曰, 伏以臣, 一病支離, 經年沈痼, 親知莫不憐悶, 聖鑑亦或俯燭, 而臣遂久廁散地, 居然忘官, 日以藥餌爲命, 鍼焫爲事, 忽地新命, 復降於杜門蟄伏之中, 臣始而惝怳, 繼而惶縮, 不知所以措躬之所也。噫, 臣之離違軒陛, 洽滿一朞, 則區區犬馬之戀, 豈能自已? 而見今症形, 實難遽議於供職。蓋自外而觀之, 則動作幾乎如常, 形貌不至瘦削, 而終是舌硬之症, 乍歇乍劇, 短辭則蹇澁, 多言則顚錯, 此則今年猶去年也。心痰之症, 或開或昏, 事不能領會, 神不能周帀, 此亦二年如一日也。不特此也, 對人忘言, 把筆忘字, 而凡前日零聞碎見, 都歸茫然。嗚呼, 命之窮矣。今雖欲一謝恩旨, 强策登筵, 數語不能通暢, 臨讀不能句折, 如此而尙處於經幄之班耶? 不特經幄之難强, 雖該司之職, 亦難任奔走期會之責, 有臣如此, 眞所謂生不如死。凡此久病困篤之狀, 銓官莫不稔知, 而至於今日, 猝然首擬於見職, 有若無故自在者然, 了無同朝相念之誼, 臣誠莫曉其所以也。召牌之下, 乃敢倩手搆疏, 趨詣九閽之外, 仰瀆崇高之聽, 伏乞聖慈, 天地父母, 察臣疾病之尙未痊可, 亟命遞改, 仍令選部, 勿復檢擬, 俾得專意療治, 以尋生路, 千萬幸甚。臣無任屛營祈懇之至, 謹昧死以聞。答曰, 省疏具悉。爾其勿辭, 調理察職。

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