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승정원일기 54책 (탈초본 1001책) 영조 22년 4월 23일 무자 17/19 기사 1746년  乾隆(淸/高宗) 11년

    ○ 副提學李德重疏曰, 伏以臣於見職, 以才分則決難堪承, 以情勢則不可冒出, 瀝血之章, 未蒙矜許而閱月虛帶, 逋命之罪, 亦靳例勘, 而鎭日嚴召, 惶悶抑塞, 實不知所以自措也。念臣之出入邇列, 今已許多年矣, 歷試內外, 報蔑絲毫, 則本末長短, 宜莫逃於天鑑之下, 而今又畀之以千萬不近似之文華極選, 臣心之恧蹙不安, 姑毋論, 其於聖朝量能授官之義, 豈不乖且舛哉? 臣之前後踐歷, 孰非踰分, 而類皆迫於嚴命, 不敢終辭, 非有一分稱塞之望而然也。豈或聖明, 見臣無華不踐, 有除輒膺, 猶未詳其魯莽蔑裂之實狀, 謂可以一例叨冒, 而有是命哉? 苟如是, 則臣之前日所以怵分畏義, 黽勉承膺者, 適足以自納於欺誣聖明之罪, 此尤臣之怵焉而懼, 靦然而愧者也。噫, 論思啓沃, 責固不輕, 而今又有新錄之命, 則是宜另擇名論鑑識, 爲當世所推服者而授之, 乃以如臣無似, 濫充長席, 責以遴選一代之才彦, 是何異於使瞽者評丹靑, 聾者調音律耶? 顧今宿德峻望, 可以當是選者, 不可以一二數, 則臣何敢强顔代斲, 以益人之嗤點也哉? 至若三司自畫之義, 前已悉暴, 今不敢復事覶縷, 而此亦終有所不可弁髦者, 玆隨天牌, 來詣闕外, 更陳血懇, 仰瀆宸嚴之下。伏乞聖明, 俯諒不稱之實, 難冒之義, 亟命鐫遞臣職, 以重名器, 以安私分, 不勝幸甚云云。答曰, 省疏具悉。命下之後, 豈敢若是? 爾其勿辭, 其卽擧行。

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