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승정원일기 55책 (탈초본 1018책) 영조 23년 7월 11일 기해 12/14 기사 1747년  乾隆(淸/高宗) 12년

    李宗迪啓曰, 前修撰黃柙處, 猥雜二字, 使本院考例問啓事, 命下矣。問于黃柙, 則以爲, 臣於館職, 萬不近似, 旣無冒承之理, 洪益三具疏一款, 尤可爲引嫌之端。故臣之陳疏, 專出〈於〉自劾之意, 則猥雜二字, 不過說來洪益三具疏張本, 以爲自引之計而已。臣旣自劾之不暇, 夫豈有毫分論及同錄之意哉? 此則萬萬無他意, 而以此至有緘問之擧, 此莫非臣文拙語訥, 辭不達意之致, 伏不勝惶恐俟罪之至云矣, 敢啓。傳曰, 今覽黃柙處問啓者, 當初猥雜起頭, 非他人之說也。卽渠之作此目而起頭, 以洪益三不徹之章, 張本自首。又曰, 論及同錄, 萬萬無他云。則以此推之, 渠自爲說, 渠自當之, 無疑其他新錄諸人, 無他所遭。而以此撕捱者, 今無更爲執言之端, 此後以黃柙疏撕捱者, 政院勿捧其章, 嚴飭行公。

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