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승정원일기 57책 (탈초본 1042책) 영조 25년 4월 1일 무인 10/16 기사 1749년  乾隆(淸/高宗) 14년

全羅道의 餉米를 상납토록 분부할 것을 청하는 訓鍊都監의 草記

    ○ 又以訓鍊都監言達曰, 都監軍餉保米, 乃是親兵糧餉, 其所上納, 自有定限。而全羅道靈巖郡丁卯條餉米, 過限已久, 終不上納。故昨秋發關査問於本道兵營, 則回牒內, 本郡軍餉保米及田稅, 上年三月初十日康津前縣監兼任時, 裝載於靈光地土船, 定監色發送, 而終無尺文來納之事, 極爲驚駭。探問沿海各邑, 則扶安囚推罪人, 咸平敗船色吏所告內, 靈巖稅船, 六月初九日, 到扶安飛梁島前洋, 與咸平稅船同立。而咸平船致敗, 靈巖船不知去處云云。旣無他致敗明證, 則不可以敗船罪人之言, 謂之眞敗。且以本郡守拿問時供辭觀之, 本船格卒, 變姓名者及穀物卸下作錢之船主, 自本官, 別加廉探, 祕報監營, 方爲捉囚, 未及推覈云。船漢等, 假稱漂風, 全船偸食之狀, 明白無極。莫重軍餉, 不可以船隻無去處之故, 仍爲經年不捧。曾於乙丑年間, 求禮縣都監納癸亥條保米所載船, 致敗於通津祖江, 而船隻去處, 終未査得, 故令本官, 依數上納事, 覆啓施行矣。今此靈巖郡丙寅丁卯兩年條保米, 違越事目, 過期裝載, 至有連年致敗之患, 極爲可駭。不卽摘發馳報之該邑郡守, 雖自戶曹, 草記拿處, 當初濫載石數, 逢授不實船人之守令, 終不可置而不論。令本道, 指名現告拿處。而此是本邑當納之物, 依求禮縣例, 丁卯條未納餉米八十八石一斗五升, 使之依數上納。保米次知鄕色等, 節晩收捧, 過限裝發之狀, 亦極痛駭。令本道兵營, 各別重棍, 以爲懲勵之地事, 竝爲分付, 何如? 令曰, 依。

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