○ 持平李仁源書曰, 伏以臣, 卽伏見夜下傳敎, 則有物故罪人增, 特爲放送之命, 繼而有徽旨催入之令。臣不勝驚惑憂慨之至。夫增之負犯罪名, 至爲深重, 加律之議, 旣在於當初酌處之餘, 收還之請, 又發於向來全釋之日, 則公議之嚴, 據此可見。今此特宥之敎, 雖出於敦恤傷惻之聖意, 而罪之輕重, 無間生死, 疏釋之典, 不容輕議。至於臺諫牌招停達之令, 事未前聞, 大關後弊, 尤有乖於聖朝待臺閣之道。臣謂仰稟大朝, 亟寢增放送之命, 徽旨催入臺諫牌招之令, 亦許一竝收還, 以嚴邦憲, 以重臺體, 斷不可已也。臣職忝耳目, 卽宜詣臺論列, 而素患伏暑之症, 近又添劇, 落席奄涔, 無路自力, 茶牌之下, 亦不得祗承, 罪尤萬萬。伏乞离明, 亟削臣職。仍治臣逋慢之罪, 俾安私分, 不勝幸甚。臣無任云云。答曰, 覽書具悉。朝者下令, 已諭於政院矣。昨夜聖敎至矣。而況已故之後, 其何復爲如是乎? 殊涉未安矣。爾其勿辭, 從速察職。