○ 司書宋瑩中書曰, 伏以臣之獲罪明時, 今六載矣。身名旣敗, 神天交謫, 孤露餘生, 又失偏母, 荏苒之頃, 喪制已闋, 窮毒之命, 尙玆苟活, 俯仰慙痛, 人理都絶。惟屛跡田野, 沒齒訟愆, 庶或少贖其不忠不孝之罪, 夢想之間, 亦豈有抗顔當世之念哉? 春坊新除, 遽降於杜門自廢之餘, 收簪之恩, 感泣無地, 而奉檄以還, 誰與爲榮? 臣只自聞命驚惶, 撫躬摧咽而已。念臣以孤孑之蹤, 樸愚之性, 不幸早出世路, 全昧忌諱, 妄信古人之書, 徒知無隱之義。頃年一疏, 亶出於耿耿憂慨之忱, 而微誠未格於天日, 一言遽觸於雷霆, 前後嚴敎之荐疊, 罔非臣子不忍承聞者, 向靡我大朝包容之盛德, 其何以暇息鄕里, 得保軀命也哉? 臣每一追思, 心魂尙悸, 今於歲月旣久之後, 固不敢復提衷曲, 猥煩申暴, 而區區迷滯之見, 斷斷秉執之義, 不能紆回而擺棄。譬如霜雪雨露, 雖天地之大造, 而土石之頑, 竟難鎔化, 則臣實自悼其冥然也。至若反詈謠諑之言, 左右眩幻, 迭相噂沓, 甚至於度外傍觀, 亦生疑怒, 公詆私罵, 爭欲立敵, 臣若逐條辨駁, 就事臚陳, 則不但適增其疲惱而已。昔人所謂身將隱矣, 焉用文爲者, 正爲臣今日道也。噫, 人之出身立朝, 非君親則何事, 而臣初忝言責, 未能回明主之淸聰, 旋罹罪籍, 不能效烏哺之私情。歷觀今古, 點檢身世, 忠孝俱喪, 情理切悲者, 未有如臣之甚者也。臣雖淟然無恥, 尙何忍徒懷甄錄之恩, 不恤廉義之重, 揚揚束帶, 復廁周行, 自同無故之人乎? 官職去就, 自量已悉, 非可擬議於臣者也。苟使臣之情勢, 有一分冒進之路, 則臣之迹阻銅闈, 已積年所, 兩筵討論, 若隔前生, 其間睿學之將進, 想有日躋時敏之效, 犬馬微忱, 寤寐耿結, 豈不欲更覲离光, 畢陳謏聞, 而甘自陷於辜恩慢命之科也? 昨違召旨, 未蒙例勘, 情窮勢蹙, 益無所措。玆敢隨詣禁扃之外, 略暴危苦之懇。伏乞邸下, 俯垂矜察, 亟賜鐫罷, 俾得退守微諒, 以全本分, 千萬幸甚。答曰, 覽書俱悉。當此逐日開筵之時, 上下番不備, 事體不然, 而其所情勢, 殊非春坊之事, 則其何若是? 爾其勿辭, 從速察職。