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승정원일기 62책 (탈초본 1125책) 영조 31년 11월 3일 임신 17/20 기사 1755년  乾隆(淸/高宗) 20년

    ○ 司諫沈墢書曰, 伏以臣自來情勢, 不可冒居於三司言議之職, 而頃參諫官, 事關懲討, 妄有論列, 敢效一日之責矣。納言之書, 聲罪嚴急, 遣辭危怖, 至以容護爲目, 遠竄爲請, 憲書繼出, 而罰名雖改, 語意甚緊, 倘非我邸下曲諒之恩, 臣何能保有性命乎? 臣誠感激隕越, 不知死所。不意今者, 薇垣新除, 遽下於杜門病伏之中, 罪戾未勘, 誤恩反加, 臣切不勝惶感悚蹙之至, 玆敢略陳短章, 仰暴情實, 惟邸下少垂諒察焉。噫嘻, 痛矣。今年亂逆之變, 實是窮千古所無者, 根柢窩窟, 自有所從來, 而向來處分之後, 王章猶欠夬正, 輿憤不能盡洩。前後居臺閣者, 俱宜極言竭論, 以盡其治逆之本, 而伊時掌憲之書, 果出寂寥之餘, 未蒙採納之恩, 臣愚忠所激, 妄陳一書, 蓋以兩凶之罪均律異, 先發加等之請, 欲倡繼起之論, 事有次第, 義在嚴討, 而彼臺臣之公肆拳踢者, 實非臣意慮之所及也, 抑臣之冤憤者存焉。臣之平日本末有素, 嚴懲討一事, 自謂不後於人, 公正發憤, 非出乘時呈身之計, 則人言之來, 只欲愧死而已。雖然前後臺議, 旣如是嚴竣, 則在臣廉隅, 豈可以時月之稍久, 晏然復冒於言責之任哉? 且念臣臍下前後, 生二大腫, 幾死僅生, 幸得潰破, 而眞元大脫, 毒感頻發, 首尾餘八十日, 尙未能完合, 而日昨舁出郊舍, 欲爲就煖調治之方矣。除命適下, 馹召繼降, 在臣分義, 不敢久淹, 昨始來伏私次, 而冒寒往來之際, 病勢越添, 旬月之間, 萬無起動之望。玆於召牌之下, 敢陳瀝血之懇, 伏乞睿慈, 先削臣職, 仍治臣罪, 以謝公議, 以靖私義, 不勝幸甚。答曰, 覽書具悉。爾其勿辭, 從速察職。

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