○ 正言趙榮進書曰, 伏以, 本月十九日, 伏奉有旨, 以臣爲司諫院正言, 斯速乘馹上來者。臣聞命惝怳, 莫知置身之所。顧此言責之任, 苟非論議風采之動人者, 則莫宜居之。況今直氣摧阻, 軟熟成風, 有非半生蔭途, 志氣已頹者, 所可苟充, 而遽及於臣身, 是豈國家擇臺閣之意哉? 然而恩召之下, 違限是懼, 不顧人職之不稱, 昨始登程。到任實一息之地, 素患伏暑之症, 重發於冒炎撼頓之際, 胸膈痞塞, 水飮不下, 上吐下泄, 宛轉叫苦, 彷徨旅店, 進退維谷。見今症形, 萬無擔曳前進之勢, 玆敢疾聲哀籲, 伏乞邸下, 俯察此病重實狀, 遞臣職名, 得以調治, 千萬幸甚。仍念臣父母墳山, 在於忠淸道藍浦地, 而唱第入侍之日, 親承大朝急還官次之飭敎, 不敢顧私, 未遑榮墳, 忙急直還, 而連因賑事, 迄未往省, 區區情私, 只切傷感。今蒙除命, 侈以馹騎, 一路行色, 又添榮光。人子至情, 益無以堪抑, 不得不爲歷省之計, 敢陳私悃, 冒瀆离明, 臣不勝惶隕戰慄之至。答曰, 覽書具悉。依所陳歷省。爾其勿辭, 從速上來察職。