○ 洛昌君臣樘等書曰, 伏以臣等, 以東朝進宴事, 相率陳請, 非止一二, 而未蒙允許。臣等之觖望, 曷有其極? 今我大朝殿下, 以出天之孝, 效古聖五十之慕, 躬率耆耉之臣, 奉箋稱賀於東朝, 此實我朝三百年所未有之慶。此時稱觴之節, 固是次第擧行之事, 而未聞有該曹之援例仰請者, 臣等竊以爲訝歎也。臣等俱以宗戚, 幸逢丁卯·甲戌之歲, 懽抃蹈舞之忱, 自倍他人, 而奉觴上壽之禮, 尙今未行, 臣等抑鬱之心, 爲如何哉? 況今聖孝彌彰, 邦慶維新, 請行東朝進晏之禮, 尤不容少緩。伏願邸下, 仰稟大朝, 亟擧盛禮, 以副臣民顒祝之望, 千萬幸甚云云。答曰, 覽書具悉。仰稟事, 已稟大朝, 而聖上以至孝至誠, 豈待群下之請, 以養慈聖之志, 終靳允許? 大朝以養志爲敎, 則余亦豈敢不仰體聖意乎?