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승정원일기 63책 (탈초본 1135책) 영조 32년 9월 20일 을유 19/19 기사 1756년  乾隆(淸/高宗) 21년

    ○ 丙子九月二十日未時, 王世子坐德成閤, 諸承旨持公事入對時, 行都承旨申晦, 左承旨鄭玉, 右承旨沈墢, 左副承旨徐命膺, 右副承旨金始煐, 假注書任㻐, 記事官李福源·李鎭恒進伏訖。曰, 睿候以感冒, 累日彌留云, 臣職在保護之地, 區區憂慮, 尤萬萬矣。卽今加減, 何如? 令曰, 不至大段矣。曰, 聞首醫所傳, 湯劑姑不進服云, 心甚悶鬱矣。令曰, 已進服矣。曰, 大臣俱有病故, 未行次對, 久矣, 大朝纔有下敎, 使之入對, 故各持公事求對矣。令曰, 公事, 何事? 各達之, 可也。曰, 此乃慶尙道臣狀達而甲戌條稅米敗船, 指名現告事, 而已自該曹回達者也。曰, 此乃忠淸道臣狀達而渰死人恤典事也。曰, 此乃忠淸道臣狀達而結城縣鄕校雨漏處修改事也。命膺曰, 此乃慶尙道右兵使狀達而虎嚂人恤典擧行事也。始煐曰, 此乃忠淸道臣狀達而李長淮到配事也。曰, 近日風寒, 極不佳, 加意調攝伏望, 而湯劑三貼劑入, 連爲進服, 好矣, 大禮在前, 益加善攝, 以存少愈之戒, 千萬伏望矣。令曰, 當留念矣。遂退出。

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