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승정원일기 64책 (탈초본 1158책) 영조 34년 7월 11일 을미 28/37 기사 1758년  乾隆(淸/高宗) 23년

    ○ 咸鏡監司李命坤上書曰, 伏以日月迅邁, 兩魂殿練祥次第奄過, 伏惟大小朝追慕哀隕, 益復罔極。臣適滯外藩, 曾未效奔走之忱, 瞻望雲天, 祗不任悲慮之至。仍念臣才疎識蔑, 最居人下, 北門鎖鑰, 地任重大, 自知其萬萬不稱, 而祗以感激洪造, 黽勉承膺, 磨礪朽鈍, 殫竭心膂, 欲自效涓埃之報, 而榮寵過涯, 造物多猜, 寒暑來往, 疾病侵尋, 小大公務, 委抛瘝曠, 蓋已久矣。居常惶懍, 無地自容。臣於今春, 道內各陵奉審, 曾不敢愆期, 而北關賑事, 雖命停止, 凡其恤民省耕之政, 亦不可稽忽, 故强策發巡, 殆十旬而返。絶塞窮漠, 馳驅數千餘里, 雖强健之人, 固不免形貌換脫, 鬚髮變易, 況如臣者曾不自量其向衰, 筋力作氣就途, 其能不作客館之僵屍, 亦王靈攸曁之幸也。臣貞疾腹癖之作孽, 輒因寒暖失宜, 多在春夏而劇矣。北方風土, 儘非臣病堪居, 比又溽熱中添症非細, 較昔不啻數層耳。邑牒民訴之待臣而酬應者, 一倂滯積, 雖或有抖擻神精, 一二副急, 而迷昏亂錯, 不成貌樣, 曾不知以傳書上幾番有誤也。最是秋巡之期已迫, 都試之役當前, 此乃藩臣莫大之責, 而顧臣之病, 便同强孥之末, 實無時日, 復自力之勢, 斷不可緣臣而闕此重務。且今旱潦爲災, 穡事難豐, 臣病, 將何以爲賙救之政乎? 倘朝家不見是圖, 則宜不待臣言, 豫有所變通之道, 左右量度, 臣惟有一遞歸耳。今若瀆擾爲懼, 仍因蹲冒, 竟致僨事失職, 貽害一路, 則臣尤死罪, 臣尤死罪。玆敢猥上文字, 仰暴情懇, 伏乞离明, 俯賜矜諒, 亟許鐫免, 俾有公私俱便, 千萬幸甚。答曰, 覽書具悉。日月流邁, 兩魂殿祥禫, 次第奄過, 哀慕莫逮, 一倍罔極。卿其勿辭, 調理察職。

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