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승정원일기 67책 (탈초본 1205책) 영조 38년 5월 5일 무술 10/12 기사 1762년  乾隆(淸/高宗) 27년

    ○ 兵曹參議李宜哲書曰, 伏以, 頃者邦慶維新, 王世孫嘉禮順成, 臣民忭祝, 曷有其極? 仍念臣頃叨諫職, 伏蒙恩譴, 宥還未幾, 復忝前任, 情地惶恐, 未敢秪命, 而薄勘旋敍, 冞增感懼。乃於昨者騎曹除旨, 又降於千萬意想之外, 臣誠震越惶惑, 不知所圖。噫, 臣本以庸愚, 無所肖似, 遭遇聖明, 叨濫至此, 而自惟疎繆, 旣無學術才猷, 可以裨補治理, 獨有筋力奔走於執事之末, 庶可以少效涓埃之報, 故凡有恩除, 不敢輒爲辭避之意, 而至如言議之職, 係臣僨誤之地, 前後除拜, 未敢遽膺, 臣非有所趨舍去取而然也, 良以上恩雖隆, 廉義亦重, 寅緣進身, 其路無由。是以自頃以來, 講筵之召, 監試之役, 迷不知變, 自速罪戾, 追思至今, 惶隕愈切, 不可以時月稍間。官守有異, 有所自恕, 而遽然趨造於周廬之間, 其理明矣。今此曹僚多故, 番次苟簡, 天牌下降, 而臣反覆籌度, 諒無秪承之勢。且臣素患風痺之疾, 當夏復發, 眩暈嘔厥, 鍼灸無效, 委是[身]難强, 玆敢隨詣闕下, 略陳至懇, 伏願邸下, 特垂睿鑑, 亟加譴罰, 俾臣得以自安於私義之分, 而隨宜調息, 以尋生路, 千萬幸甚。答曰, 覽書具悉。爾其勿辭, 從速察職。

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