○ 慶尙監司金尙喆書曰, 伏以, 臣受暇省墓, 爲日已久, 而適遭胖體之慟, 尙稽反面之禮, 悲疚之中, 悚惶冞深, 不意山南按察之命。遽下此際, 不知不肖如臣, 何爲而重辱眷寄至此也? 噫, 嶺上下七十餘州, 幅員最廣, 民物且繁, 朝家所以重方面之托者, 不比他藩, 而挽近以來, 凋瘵轉甚, 俗號鄒魯, 而民風, 日漸浮靡, 富稱荊楊, 而財力, 歲益枵竭, 矧今信行有期, 供億多端, 此時此任, 尤宜難愼。以臣之綿力薄材, 責之以撫摩彈壓, 夫豈彷彿乎哉? 臣本拙疎, 致位至此, 內外揚歷, 罔非踰分, 而屢試州藩, 都蔑報效, 聖恩天大, 臣罪山積, 每自循省, 唯大何是竢? 今乃授之以大藩, 擔之以重負, 强之以其所不可强, 則旌節軒駟, 在臣身雖榮, 其於累聖簡何哉? 且臣年纔服政, 齒髮已變, 病祟痰眩, 神精漸消, 尋常酬應, 亦多遺失, 剸理劇務, 尤何可望? 反復思量, 冒應無路, 玆敢略暴情實, 仰首自列。伏乞离明, 俯賜鑑諒, 亟許鐫改將臣所叨之職, 回授可堪之人, 俾重藩任, 以安私分, 不勝幸甚。答曰, 覽書具悉。卿其勿辭, 速往欽哉?