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승정원일기 67책 (탈초본 1207책) 영조 38년 6월 1일 임진 11/16 기사 1762년  乾隆(淸/高宗) 27년

罪人의 처벌을 청하는 大司憲 등의 啓

    ○ 大司憲李奎采, 司諫宋德中, 掌令金養心, 獻納朴致隆, 副校理鄭晩淳, 正言李性遂啓曰, 荐棘罪人趙載浩素蓄跋扈之心, 又挾僞辯之術, 平生伎倆, 必欲自專威福, 識者隱憂, 固已久矣。致位三事, 受恩女何, 而頃當三年之內, 終廢奔慰之禮, 君臣之分, 渠旣自絶, 則當以廢人自處, 杜門蟄伏。而乃反締結匪類, 自作窩主, 書致妖孽, 倡出凶言, 綢繆預度, 所營何事? 魚肉搢紳, 所欲何居? 無君之心, 旣已綻露, 凶國之憂, 有不可言。況鞫獄法例, 自有首從之別, 而今此凶言, 發之者載浩也, 傳之者弘福也。弘福旣伏邦刑, 則載浩之獨逭王章, 寧有是理? 臣等此論, 實出於王法之所不容, 輿情之所共憤, 而及承聖批, 以豐陵向國之誠, 豈不寬其律於其子爲敎, 臣等誠不勝愕然失圖。載浩豐陵之子, 不思其父, 包藏禍心, 在家爲悖子, 在國爲亂臣, 其可以其父之故, 而有所寬恕哉? 三尺至嚴, 決難容貸。請荐棘罪人趙載浩, 按律處斷。批答載於筵說中 

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