○ 工曹參判鄭宲疏曰, 伏以, 臣幸蒙恩暇, 歸省先壟, 得以少伸情事, 到底莫非聖恩, 幽明之感, 當復如何? 第行路跋涉, 病勢增劇, 由限已滿, 返朝尙遲, 私心悶蹙之際, 忽伏承特旨催促之命, 病裏惶隕, 如添一病, 罔知所以爲計也。念臣曩者一出, 蓋緣講之任, 與他有異, 殿下所以責勉於臣, 而臣之所以仰承聖意者, 惟在於此。故不得不冒昧承當, 以效一日之責, 至於因此而實職·兼銜, 次第縻身, 實非意慮之所及, 逃遁不得, 黽勉隨行, 其所去就, 實甚卽當。蓋値我聖上憂勤飭厲, 日御經筵, 如臣無似, 亦忝橫經, 屢登文陛, 眤侍耿光, 微忱獲伸, 志願已畢, 而每誦朱子疏中不但臣蒼顔白髮, 已迫遲暮, 仰瞻天顔, 亦覺非昔之語, 衷情自激, 未忍便訣, 旣不敢言病, 亦不敢告歸, 因循荏苒, 卸免無路。知臣者, 憂臣進退之維谷, 不知臣者, 譏臣貪戀之不已, 臣亦自顧慙恧, 無以自解。噫, 如使臣年紀方强, 才具有素, 贊襄國事, 裨補君德, 臣豈不竭力殫誠, 圖報主恩之萬一? 而臣本空疎, 百無一當, 顧其中則實乏需世之才, 問其職則罔非踰分之任, 加以犬馬之齒, 已踰六旬, 桑楡之景, 奄逼暮境, 衰謝旣甚, 精力頓消, 今若以鹵莽之姿, 老醜之狀, 不問職事之可堪與否, 而貪榮饕寵, 遲回於鍾漏之間, 不思所以自處, 則眞所謂不識人間, 有羞恥事。臣雖無狀, 豈忍爲此? 古人云, 陳力就列, 不能者止。今臣在朝, 旣無陳力之望, 唯願得蒙許退, 俾守本分, 實合於我聖朝, 使萬物各遂其宜之道, 而其於礪廉恥·樹風敎之方, 亦將有補焉。且臣省墓之後, 仍又有事于松楸, 浹旬奔走於霧露風寒之中, 素患風痰, 大段發作, 氣滯而肩臂牽痛, 膈否而咳咯苦劇, 坐臥不能如意, 寢食殆至全癈。似此症形, 蘇完無期, 飭敎之下, 末由登程, 一日二日, 遷就至此, 自陷於慢蹇之科, 不得已席藁私次, 具由陳懇。伏乞聖明, 察臣情勢之非出例讓, 諒臣病狀之有難轉動, 特遞臣本·兼諸任, 仍治臣違傲之罪, 以安私分, 不勝萬幸。答曰, 省疏具悉。知卿晩矣。嘉卿恬雅, 因一請由, 不體其意, 分義所在, 決不若此。卿其勿辭, 從速上來察職。