○ 弼善柳善養疏曰, 伏以, 臣才疎識短, 素不合於淸朝器使之列, 而向叨臺職, 獲蒙恩遞, 私心感惶, 至今靡已, 臣於春坊除命, 豈有一分堪承之望, 而適値我東宮邸下易練之日, 疏籲旣阻, 義分是懼, 雖未免章皇出肅, 而自顧慙悚, 無地措躬。噫, 胄筵講討, 宜資博聞之士, 睿德成就, 專責端方之姿, 則其所掄選輔翼之方, 尤宜自別, 而臣本無似, 業又鹵莽, 尋常口讀之學, 猶未通解, 其何敢徒恃寵靈, 自速瘝曠, 以負我聖上在心之簡乎? 且臣於日前直中, 得聞八耋老母, 猝患暑癨, 加以暴泄, 飮啖全廢, 轉側須人, 臣蒼黃歸視, 已踰數日, 而種種諸症, 尙無顯減, 以此情理, 實無離側供仕之望。玆敢冒死, 哀籲於天地父母之前。伏乞聖慈, 諒臣不稱之實, 察臣懇迫之私, 亟許鐫譴臣職名, 以重公器, 以便救護, 千萬幸甚, 臣無任云云。批辭詳見筵說。