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승정원일기 68책 (탈초본 1225책) 영조 39년 12월 15일 정유 28/30 기사 1763년  乾隆(淸/高宗) 28년

    ○ 平安監司黃仁儉疏曰, 伏以, 臣之冒犯違逋, 雖緣病勢之萬不獲已, 而迹涉避苦, 罪在虧分, 何望天日之俯燭? 惟俟金木之遄加, 迺於千萬意外, 忽伏承特解本職, 移授西臬之命, 臣以首頓地五情失守, 歷屢日而不能定也。顧臣無似, 百無一能, 而猥蒙洪造, 濫廁卿列, 區區平日所期勉, 惟在於筋力奔走, 以爲一分報效之圖矣。不幸病作, 蠢動無路, 特敎申飭之下, 昧然偃伏, 殆同木石之頑, 追思懍慄, 無所措躬, 揆以邦憲, 理難容貸, 縱何曲保之至仁? 不卽加誅, 臣何敢不自知罪, 而遽同平人也哉? 且況關西一路, 乃是箕聖首敎之地, 而山谿之險, 固士馬之精强, 足以有賴於修攘, 壬辰·丙子之際, 供億糜費, 動以萬計, 而搶攘之中, 責應不乏, 其財力之可恃, 又如是矣。至今傳說, 以爲國家中興之績, 多藉於此, 實不但爲邊門鎖錀[鑰]之重而已。昇平日久, 人心狃安, 商譯織路, 率多違法之弊, 採獵隔江, 每有生釁之慮, 民生困悴, 而蓄積漸不如舊, 城地布列, 而疎虞亦多可笑, 江山之秀麗, 聲色之繁華, 徒爲賈豎市童之所艶慕, 有識之隱憂永歎, 臣亦聞之熟矣。政宜選揀文武全才有聲望幹局者, 委之方岳之重, 責以振刷之道, 以盡其孰敢侮予之實可矣。臣是何人, 乃敢當是任乎? 臣柔懦不解事, 曾叨嶺藩, 憒憒無可言績, 眞是已試蔑效之人, 而今且病益劇而神益耗, 決知其僨敗之在前, 而猶爲冒沒之計, 則豈不有違於古人戒哉? 宜卽自列, 仰請處分, 而積病辛苦, 無而締成文字, 今始收召神精, 略暴衷懇。伏乞聖慈, 天地父母, 俯察臣才不堪病難强之實狀, 特賜鐫削, 仍命攸司, 亟治臣前後負犯, 以爲人臣慢命者之戒焉。臣無任屛營祈懇之至。答曰, 省疏具悉。今於西門, 予謂得人, 遞冢宰而卑斯任, 卿何敢撕捱? 卿勿過辭, 速往欽哉?

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