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승정원일기 69책 (탈초본 1231책) 영조 40년 6월 23일 계묘 14/15 기사 1764년  乾隆(淸/高宗) 29년

    ○ 獻納南雲老疏曰, 伏以臣, 昨自署坐, 退歸旅次, 素患痰癖之症, 挾暑復發, 症情萬分危急, 虛嘔亂作, 痛泄無算, 死生之判, 祗在頃刻, 傍人憐之, 雜試藥餌, 幾絶而復甦者, 一夜數次矣。昨因晝講, 臣當進參, 而昏昏委頓, 不省人事, 旣末由趨入, 又未得疏陳, 喉院問備之請, 可謂薄勘, 諫院闕啓之罪, 實無所逃, 臣一縷如線, 尙此未絶, 而上負國恩, 下失臺體, 撫躬自悼, 生不如死。噫, 臣向來情地, 萬萬窮蹙, 而嚴畏分義, 猶不敢爲陳情自引之計, 章皇出肅, 冒沒登筵, 則臣雖無狀, 豈忍飾詐言病, 無端不進, 自陷欺天之科也? 臣之斷斷忱誠, 聖鑑庶幾俯燭, 而病中惶隕, 只願速死, 而極知煩瀆之爲罪, 而情窮勢蹙, 疾聲呼籲於天地父母之前。伏乞聖慈, 憐臣病狀之忒重, 許臣職名之鐫改, 俾臣安意就盡, 不勝幸甚。臣於垂死之中, 竊有愚衷之耿耿者, 玆敢付陳焉。惟聖明裁察焉。國家之設文武科, 蓋所以搜羅人才, 無遺進用之術, 而登科一二十年, 未霑寸祿, 抱牌牖下, 白首窮餓者, 比比有之, 其才學技藝, 豈必皆不如人而然哉? 況今聖志奮發, 庶政維新, 保合大和, 陶鑄一世, 凡我海隅黎獻, 亦必聞風翹足, 思霑旁流之德化, 而在朝廷咸囿廣搜之道, 尤不可不棄尺朽, 疎鬱振滯也。都目已定, 親政有命, 伏望聖明, 申飭兩銓, 必以登第年久者, 循次檢擧, 必公必正, 毋襲例套, 期有實效, 是臣區區之望也。臣必欲登筵面陳矣, 病勢如此, 就列無望, 敢入文字, 仰瀆天聽, 臣尤死罪。臣不任屛營云云。答曰, 省疏具悉。附陳者誠是, 來頭親政, 當勉飭矣。爾其勿辭察職。

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