○ 庚寅四月初八日申時, 上御集慶堂。入診入侍時, 藥房都提調金致仁, 提調李思觀, 副提調金華鎭, 假注書任煜, 記事官吳鼎源·柳誼, 醫官方泰輿·許礈·李以楷·鄭允協·慶絢·吳道炯·鄭允悅[鄭允說], 以次進伏訖。致仁曰, 午間, 聖體, 若何? 上曰, 一樣矣。致仁曰, 水剌進御乎? 上曰, 不進矣。致仁請診候, 上曰, 朝旣診, 何必更爲也? 致仁曰, 今日日候陰濕, 只使兩廳仰診, 似好矣。上曰, 止之。致仁進湯劑, 上御之。上曰, 予以永城, 爲令監矣, 昌城亦令監矣。致仁曰, 然矣。致仁曰, 日氣如此, 朝有二貼之敎, 臣惶恐不敢仰達, 而區區下情, 竊不勝憫迫之忱矣。上曰, 予所謂彼輩可憎者, 此也。卿須早退。予當便臥矣。思觀曰, 當此之時, 事當加進, 而不惟不爲, 又有減進之敎, 豈不惶憫乎? 上曰, 日已昏, 予心尤憧憧矣。致仁曰, 明日則依例爲之乎? 上曰, 可矣。諸臣以次退出。