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승정원일기 75책 (탈초본 1341책) 영조 49년 7월 19일 병자 29/34 기사 1773년  乾隆(淸/高宗) 38년

    ○ 癸巳七月十九日午時, 上御集慶堂。藥房入診, 大臣·備局堂上引見入侍時, 都提調韓翼謩, 提調李翼元, 左副承旨申益彬, 領議政金相福, 左議政金尙喆, 右議政元仁孫, 綾恩君具允明, 行副司直具善復, 仁陽君李景祜, 吏曹判書趙明鼎, 右參贊洪樂性, 兵曹判書具允鈺, 行副護軍尹泰淵·張志恒, 工曹參判李重祜, 吏曹參判徐命善, 大司憲鄭光漢, 大司諫李有喆, 校理林蓍喆, 右副承旨趙宗鉉, 記事官金峙默, 事變注書柳頤玄, 記事官鄭民始·洪國榮, 醫官方泰輿·鄭允協·慶絢·金孝儉·白文昌, 以次進伏訖。泰輿奉入湯劑, 上曰, 汝亦困予乎? 斯速退去。仍命逐出諸醫官。命書傳敎曰, 故宋左相謂予曰, 一殺字審愼, 今幾十年, 尙今歎服, 豈特此也? 鄒聖云不嗜殺人者能一之。嗚呼, 昔年黨習時, 亟正邦刑, 如常茶飯, 而以徵夏萬萬無狀, 下敎之下, 政院, 以者類故覆逆, 辛壬若此, 故此後嗣服後, 黨類其欲報復, 國之一律。若於渠鞭笞, 若此而國爲國君爲君, 然不過一號令間事, 故太學朝紳墨名, 於今頓無追律之請, 一自嚴飭後, 其亦自消, 而已下敎, 一自過中按律之請, 其亦尋常, 至於論KC03045而極矣。若不嚴立科條, 噫, 按律雖有二字四字之異, 其若施焉一也? 此後犯分乘輿, 關係罔測者外, 輕先創啓者, 亟施反坐之律事, 奉承傳施行, 以示予雖衰不嗜殺人之意。出傳敎  上曰, 昨日臺臣, 雖由於誤聞予奏中一句語, 而按律之請, 豈不怪乎? 相福曰, 臺臣擧措, 臣等亦以爲萬萬怪駭矣。上曰, 任希敎事, 予常慨然矣。加資時, 予雖誤認以礪城君外孫, 有所下敎, 渠宜上疏自明, 而厭然自在, 極爲非矣。宜令聾瞽臺臣, 可聞此也。相福進前起伏曰, 勞動之餘, 聖體, 若何? 上曰, 一樣矣。寢睡·水剌之節, 若何? 上曰, 一樣矣。上曰, 今日事, 前古所無矣。殿庭軒架, 豈可用之於陪進致詞乎? 沖子出立, 故不得已受之, 而心則愧矣。春坊若有人, 則豈如此乎? 相福曰, 此慶尙左水使崔朝岳狀聞也。蔚山地封山放火人, 因頃者覆奏, 地方官, 捉得査究事也。罪人都億九, 則渠之墳山, 在於封山內, 而慮其木根, 欲除其害, 果爲延燒。姜松男, 昨秋葬其母於封山內, 而爲其松陰之爲害, 伐木燒根, 仍及於松田。都益九則庚午年, 亦爲入葬於封山內者, 俱極痛惡, 都億九等三人罪狀, 請令廟堂稟處。而都億九之五墳, 俱是累百年古葬, 似難督掘, 而都益九之父葬, 姜松男之母葬, 依事目勒限掘移爲辭矣。續大典, 松田放火者, 以一律論, 而禁松事目中, 禁標內入葬者, 繩以有主地內盜葬之律, 杖一百矣。封山放火, 罪抵一律, 而今此都億九·姜松男等所坐, 實由於欲除其木根之入塚, 以至延燒之境, 實非故放, 且續典小註, 有封山失火, 或因元田焚灰, 則與故犯有間, 田主決杖定配, 監色, 從重決棍之文。情非故放, 則容有參酌, 續典小註, 亦可傍照, 以此照律, 似爲得矣。至於封山內入葬處掘移事, 依狀啓擧行之意, 竝爲分付, 何如? 上曰, 依爲之。相福曰, 今秋式年初試不遠, 各道都事之未經侍從者, 遞差, 而以侍從臣差送, 何如? 上曰, 依爲之。相福曰, 金吾堂上, 判金吾外, 或有實恙, 或在外云, 合有變通矣。上曰, 在外人遞差。其代, 口傳差出, 可也。以上出擧條 明鼎曰, 王孫出閤後, 敎傳便作剩窠, 似當減下, 故敢此仰稟矣。上曰, 置之。出擧條 光漢曰, 臣有所懷敢達矣。伏見朝者御製下者, 拈出一善字, 下敎縷縷, 所以勉東宮而飭群僚者, 辭旨懇惻, 有足感歎。今於入侍, 又伏聞傳敎, 以此後關係莫重者外, 無請一律之意, 永爲定式。豈但全保於一時, 抑將澤及於百世? 凡今日朝紳之聞此敎者, 孰不感泣乎? 然以臺體言之, 則按律之請, 何等嚴重, 而昨日臺臣, 不加審愼, 輕發大論, 其損臺規而關後弊者, 大矣。臣謂發啓諸臺, 竝施削奪官爵之律。至於任希敎, 則昨日之擧, 不但怪駭, 當初加資時, 聖敎誤稱礪城君之外孫, 則在希敎之道, 所當自明於叩謝之章, 而不此之爲, 厭然掩置, 誠爲衣冠之羞。臣謂任希教, 不可不遠竄也。上曰, 依啓。任希敎, 一時未覺, 因今下敎, 若是請竄, 無乃太過。依啓, 同律施行。光漢曰, 官職去就, 所關非細, 重宰自處, 亦自不輕, 向來黃景源之冒當褒貶, 極涉放恣, 從弟方有一律之啓, 叔母又被遠竄之罰, 則在景源之道, 所當縮伏辭免, 晏然行公, 自同無故, 物情之駭歎, 久矣。不可以事過而置之, 臣謂工曹判書黃景源, 削去仕版, 宜矣。上曰, 所請雖得臺體, 此律則過, 施以不敍之典。光漢曰, 今番親臨朝參, 何等大朝會, 而掌邦禮之宗伯, 無緣不參, 臣謂禮曹判書趙重晦, 罷職宜矣。上曰, 此人決非用謀者, 豈無端不參, 從重推考。相福曰, 禮判似有實故, 不得入來, 而臺臣旣請罷職, 自上雖有只推之命, 而重臣廉隅, 似欲一遞矣。上曰, 領相若是已奏, 本職許遞。已上出擧條 有喆曰, 臣有所懷, 敢此仰達矣。陳賀事體, 何等至重, 而王世孫致詞, 軒架鼓吹, 推移用之, 事甚苟且, 且極駭然。臣以謂禮貌官, 不可解見任而止罷職, 春坊竝推考, 可也。上曰, 依啓。出擧條  上曰, 旣有致詞, 則凡諸等節, 其能不能, 在於春坊, 當該春坊所請禮貌官, 其何知之? 此皆由於春坊禮貌官承文院不能擧行之致, 所請禮貌官律, 以此兩人捧傳旨, 禮貌官安徐。出傳敎 有喆曰, 在外臺臣, 前後申飭, 非止一再, 而下諭已久, 尙不上來, 事極未安。臣以爲在外三司, 一竝罷職, 可也。上曰, 依啓。有喆曰, 昨日發啓臺臣之處分, 誠極至當, 而至於任自爲之之下敎, 有所如何, 臣以爲四字還收, 可也。上曰, 旣已處分之後, 四字下敎, 其亦薄物細故, 爲怪駭臺臣, 今者之請, 事體寒心。有喆曰, 臣本無似, 識且固陋, 前後所奏, 無非做錯, 何可一刻晏然於臺次乎? 請命遞斥臣職。上曰, 禮貌官事, 雖有一時不審, 寒心之請, 似難例批, 依啓。已上出擧條 相福曰, 訓將以有日前記過之命, 來待闕外, 而不敢入侍云矣。上曰, 訓將記過, 勿施。入侍。出榻敎 相福曰, 原任大臣, 爲承候來待, 而廚院堂上, 亦入來云矣。上曰, 注書出去, 使之入侍。柳頤玄承命出去, 與領敦寧金陽澤, 判府事李溵·李思觀, 海運君槤, 鶴城君楡, 行副司直李章吾, 偕入進伏。陽澤曰, 勞動之餘, 聖體, 若何? 上曰, 一樣矣。寢睡·水剌之節, 若何? 上曰, 一樣矣。曰, 臣等職在監膳之任, 一時進饌, 不過臣等之常分, 是豈一毫張大乎? 伏願仰承兪音矣。尙喆曰, 廚院與他司有異, 臣等之若是仰請, 顧其職耳。伏願亟降兪音, 使臣等伸分焉。上曰, 其止之。曰, 未承下敎之前, 其若伈伈退去, 則曰有臣分乎? 上曰, 此宗臣, 藉勢同甲而如此乎? 速退, 可也。允明曰, 廚院·勳府, 宜無異同, 臣等下情, 亦願俯燭矣。上曰, 其止之。尙喆曰, 司饔提調李景祜, 方管濬川之役, 近來本院監膳, 自多相妨, 廚院兼帶, 今姑許遞, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 陽澤曰, 本府奉安譜牒中, 列聖朝徽號, 多不載錄, 何以爲之乎? 上曰, 仍舊貫似可矣。陽澤曰, 本府所錄凡例, 與宗簿差異, 若初不全然載錄, 則今不敢煩奏, 而遍考各式年所錄, 或書或不書, 先朝徽號, 去癸巳徽號載錄, 今癸酉追上徽號不入錄, 昨冬顯廟朝追上徽號, 未及入錄, 三殿加上尊號, 亦未及入錄矣。上曰, 當錄而不錄, 追後爲之, 可也。陽澤曰, 然則明年式年, 待明春擧行, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條  上曰, 俄者下敎, 若張釋之言有弊者, 旣覺之後, 何踰時刻? 雖事關逆律, 結案遲晩後正法, 卽王者愼刑之意, 雖係關乘輿, 關係莫重者, 嚴問結案然後, 正法卽正正方方底道理。若今下敎, 無異張釋之之言, 嗚呼, 暮年, 宜袪此弊, 使海東之人, 無孟浪就戮, 今後則不待結案, 直爲正法永除事, 載於受敎, 而此後其或挾雜有請者。噫, 旣惜一律, 渠雖無狀, 一律則同, 俄者反坐之命, 亦欠審愼, 雖惜一律, 其他何惜? 違命以請者, 除名縉紳案, 三世勿許淸職事, 奉承傳載於受敎。嗚呼, 今者此敎, 可見予衰, 若非其衰, 豈若是靳靳? 凡諸大小臣僚, 其於他日, 少思暮年其君爲臣之意。出傳敎 翼謩曰, 湯劑奉入乎? 上曰, 依。翼謩進湯劑, 上進御。翼謩請診候, 上曰, 置之。翼謩曰, 都承旨沈頤之, 於藥院, 與臣有相避, 不得備員入侍矣。上曰, 然矣。仍命書傳敎曰, 今聞都提調所奏乃覺, 左承旨爲內局副提調。出傳敎  上命退, 諸臣以次退出。

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