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승정원일기 76책 (탈초본 1363책) 영조 51년 5월 4일 경술 23/23 기사 1775년  乾隆(淸/高宗) 40년

    ○ 乙未五月初四日戌時, 上御集慶堂。藥房入診入侍時, 都提調李溵, 提調金鍾正, 副提調閔百奮, 記事官朴思機·宋銓·朴聖集, 醫官方泰輿, 以次進伏訖。上命時原任入侍, 領府事金相福, 判府事金尙喆, 領議政申晦, 右議政洪麟漢, 以次進伏。曰, 此時何不顧聖躬而如此乎? 上曰, 奈忠孝何? 麟漢曰, 進御湯劑, 何關於忠孝? 雖在他時, 不當如是, 況今靜攝之餘? 豈可朝進一貼, 尙不進御乎? 鍾正奉進湯劑, 上曰, 過矣。諸大臣合辭固請, 上進御湯劑, 曰, 欣幸矣。上曰, 副提調爲人, 誠長者矣。麟漢曰, 古家規模, 異於他人矣。曰, 仁川府使, 雖是當罪, 而新到之餘, 誠可惜矣。上曰, 宋淳明, 何如? 曰, 宋淳明·宋載禧, 非可以耆老科稱也。上曰, 湯劑不進之前, 氣固薾矣。旣進之後, 氣差勝矣。相福曰, 自上旣有差勝之敎, 何不更爲進御乎? 上曰, 藥房提調, 持湯劑更爲入侍, 鍾正奉進湯劑, 上進御後, 上曰, 果已三貼矣。朝者下敎之後, 似不更請, 而自此以後, 不復生意焉。曰, 人情天理, 自不得不然矣。命退, 諸臣以次退出。

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