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승정원일기 77책 (탈초본 1377책) 영조 52년 3월 13일 갑신 18/27 기사 1776년  乾隆(淸/高宗) 41년

    ○ 丙申三月十三日卯時, 上御廬次。都承旨入侍時, 行都承旨徐浩修, 假注書柳孟養, 記事官朴祐源·李心淵進伏訖。上曰, 領議政入侍。出榻敎  領議政金尙喆進前, 上曰, 惠慶宮貢獻節目, 何時修入乎? 尙喆曰, 皆已修正以置, 當正書以入矣。上曰, 吏曹判書入侍。出榻敎  吏曹判書徐命善進前, 上曰, 承旨望殆近二百, 惟允之職, 無論淸濁, 無人不參, 豈不寒心乎? 肅廟初, 至有三望擬入之例, 今不可猝難行此, 若或簡抄, 則大勝於混淆, 與大臣, 相議爲之, 可也。命善對曰, 承旨之職, 不輕而重, 不可人人爲之, 而近來則雖未通淸者, 應入承旨之望, 亦一大弊也。今若無端減削, 則衆謗朋起, 是亦大可悶者也。上曰, 以三十人爲限選之, 其後若有可爲之人, 以爲通淸似好矣。尙喆曰, 銓官若任怨, 則易可變通, 不然則實無矯弊之道矣。上曰, 吏判不可獨爲也, 與大臣, 如弘錄樣爲之, 則似好矣。命善曰, 當與大臣相議後, 更奏矣。命退去, 諸臣以次出。

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