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승정원일기 77책 (탈초본 1392책) 정조 즉위년 12월 1일 무술 35/43 기사 1776년  乾隆(淸/高宗) 41년

    ○ 司諫金履禧疏曰, 伏以, 臣於言責之任, 豈有一分近似者, 而含恩畏義, 强疾承膺矣。病情添劇, 陳章乞免, 敢以草草數語, 附貢愚衷, 聖度包荒, 不以爲罪, 反下體念之敎, 臣誠且惶且感, 罔知所以。惟當强策駑鈍, 竭蹶供職, 而顧臣素有癃疾, 添以近日毒感, 旅次遇寒, 調攝失宜, 日漸沈篤, 症涉危惡, 床笫之間, 轉側須人, 萬無時日間蠢動之望, 玆敢冒萬死, 哀籲於天地父母之下。伏乞亟命遞斥臣職, 以安微分焉。臣竊有區區憂憤之忱, 敢此尾陳焉。嗚呼, 今番諸賊之窮凶極惡, 實前古史牒之所未有, 雖幸天討克行, 義理昭著, 而凡爲今日臣子者, 言之心寒, 思之骨驚, 何忍一日而忘諸, 而卽伏見前大司憲金載順上疏, 則其所論列諸賊者, 殊無張膽沬血之義, 只以戚里輩含權樂禍之題目, 沕淪說去, 而或詳或略, 隱然有扶抑之態。噫, 肆其胸臆, 沮戲聽政之·兩逆, 何等極賊, 而强爲漫漶, 說不明白, 逞其妖邪, 暗地煽動之·諸賊, 何等惡逆, 而初不擧論, 若無可言何哉? 噫嘻, 痛矣。此莫非徵討不嚴, 義理晦塞, 隄防漸弛, 人心陷溺之致, 此不嚴懲, 臣恐革面之徒, 尤無所顧忌, 而世道之憂, 有不容言者, 堂箚辨破其情狀, 聖鑑亦燭其肺肝矣。伏乞嚴加處分, 爲先亟施竄配之典焉。答曰, 省疏具悉。所陳可見公議, 而予亦有商量者, 爾等勿辭察職。

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