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승정원일기 78책 (탈초본 1410책) 정조 1년 12월 26일 무오 21/27 기사 1777년  乾隆(淸/高宗) 42년

    ○ 丁酉十二月二十六日巳時, 上御誠正閣。都承旨入侍時, 行都承旨洪國榮, 記事官柳孟養·金勉柱, 以次進伏訖。國榮曰, 夜間聖體, 若何? 上曰, 一樣矣。國榮曰, 去夜寢睡, 何如? 上曰, 善寢矣。上曰, 判義禁·秋判入來乎? 國榮曰, 俄己入來矣。上曰, 棍杖及笞杖圖式書來乎? 國榮曰, 皆書來矣。上曰, 冊子不過數十張, 活印有弊, 使善書之寫字官精書, 入刻印出, 似好矣。國榮曰, 從便爲之則無妨矣。上曰, 頒布綸音, 當爲製下, 棍杖綸音及笞杖傳敎, 先爲始書可也。國榮曰, 綸音今日內製下, 然後可以繼書矣。上曰, 冊子, 元朝可以頒布乎? 國榮曰, 張數雖小, 刻役, 印役, 三四日內, 似難訖役, 元朝則未及頒布矣。上曰, 別雲劍望單子, 尙不入啓, 何故而然也? 注書出去知入。賤臣承命出問後回奏曰, 俄已入啓云矣。上曰, 春享宗廟獻官, 何不以大臣塡差, 以都尉差之乎? 國榮曰, 孝明殿若親祭, 則獻官苟艱, 故大臣則初不塡差於宗廟云矣。上曰, 雖親祭, 亞獻·終獻, 當以二大臣差之, 一大臣塡差於宗廟無妨, 自今以後, 依此爲之事, 分付, 可也。上曰, 諸承旨持公事入侍。出榻敎  命退去, 諸臣以次出。

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