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승정원일기 79책 (탈초본 1435책) 정조 3년 2월 9일 갑자 28/28 기사 1779년  乾隆(淸/高宗) 44년

    ○ 己亥二月初九日巳時, 上御誠正閣。京畿監司入侍時, 京畿監司鄭一祥, 同副承旨宋煥億, 假注書徐鼎修, 以次進伏訖。上曰, 都承旨入侍。出榻敎  都承旨洪國榮進伏。上曰, 望雨之餘, 得此大霔, 誠爲多幸, 而雨勢如此, 故今日擧動, 退以明日。列邑民人之來待, 想多貽弊之端, 是甚可悶, 何以則有一分除弊之道乎? 一祥曰, 朝家, 旣以儲置米會減, 故各邑進排, 皆以雇軍擧行, 而元無民人來待之事矣。上曰, 然則植炬等軍, 亦非鄕民乎? 一祥曰, 此亦以雇人及官人待令矣。上曰, 雨後橋梁, 必多壞傷矣。一祥曰, 臣於今朝摘奸, 則間有壞傷處, 故方令隨毁隨補矣。上曰, 橋梁木, 亦爲徵出於民間乎? 一祥曰, 此亦會減, 故初不徵索於民, 而至於道路, 則不可不修治矣。上曰, 如甚泥濘, 則欲以駕橋作行, 治道一節, 亦爲略略擧行, 俾勿貽弊, 可也。國榮曰, 各邑進排, 旣以雇軍擧行, 則別無民人貽弊之端, 而聞傳語軍, 皆是楊州軍云, 裹糧遠來, 冒雨滯留, 亦甚矜憫。今若量宜減遣, 則亦庶爲除弊之一端矣。上曰, 然則此亦減之, 好矣。命書傳敎曰, 今聞畿伯所奏, 陵幸時, 許多進排之物, 以儲置米會減之故, 自各邑, 雇人擧行, 而列邑民人, 初無來待之事云。然則與初料有異, 雖甚多幸, 其中傳語軍九十餘名, 聞是楊州之軍, 而雨中沾濕, 殊極矜憫, 今番則動駕退定一日, 宜有除弊之擧。外方傳語除之, 軍人使卽解送, 問安中使, 各殿則一倂除之, 只承旨問安一次, 大殿中使問安一次擧行。命退, 諸臣以次退出。

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