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승정원일기 80책 (탈초본 1466책) 정조 4년 7월 12일 무자 23/25 기사 1780년  乾隆(淸/高宗) 45년

    ○ 庚子七月十二日卯時, 上御誠正閣。都承旨入侍時, 都承旨鄭民始, 假注書趙興鎭, 兼春秋張顯慶·金廷龍, 以次進伏訖。上曰, 奎章閣修理時, 徐浩修入來? 民始曰, 然矣。上曰, 吏曹郞廳, 入番官員知入。上曰, 李東稷, 不知誰之子孫, 今始聞之, 則李廷喆之孫也。民始曰, 然矣。顯慶回奏曰, 吏郞李時秀, 入直云矣。上曰, 使臣今則似過遼野乎? 民始曰, 計其渡江日字, 則似過野矣。上曰, 野甚泥濘, 當此潦水之時, 則人馬沒脚, 不得作行云, 然否? 民始曰, 聞譯舌輩言, 遼野汚陷, 故雖非潦雨時, 行人之過去甚難云, 若當此潦雨, 則尤難作行矣。民始曰, 沙蔘生脈散, 間間煎入矣, 今則, 何以爲之乎? 上曰, 置之, 而淸暑六和湯, 除人蔘煎入, 好矣。民始曰, 人蔘不過五分, 而其他材料, 俱是淸熱之劑, 故別無蔘害, 依本方煎入, 似好矣。上曰, 然則依前方煎入無妨, 而大抵六和湯, 夏節之良藥, 予今夏連爲進御, 故尙無微恙, 其效, 誠大矣。民始曰, 聖敎至當矣。命退, 承史以次退出。

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