○ 朴祐源, 以司僕寺官員, 以一二提調意啓曰, 濟州出來先運三名日進上馬六十匹, 別御乘馬二十匹, 差備進上馬八十匹, 凶咎馬十匹, 駑駘馬十匹, 合一百八十匹內, 二匹船中故失, 實納馬一百七十八匹, 禾毛色, 別單書入, 而耽羅馬品, 近甚孱劣, 此必由於牧養之不得其宜, 故縷縷關飭, 不啻申嚴矣。今番貢馬, 又復如前, 先運如此, 後運可知, 牧使若果惕念, 加意抄擇封進, 則豈有此弊? 揆以道理, 萬萬駭然, 濟州牧使金永綬, 從重推考, 以警日後, 何如? 傳曰, 貢駒罷劣, 莫若近年, 禁軍馬兵, 將至雇騎貰乘而後已, 山屯之貢, 許令退限, 歲捧之品, 不拘蹇瘠, 朝家之前此曲恕, 抑云屢矣。觀此本寺草記馬品, 又復若前云, 此亦紀綱所在, 藉令飼牧失宜, 獨非守臣之罪乎? 罷拿之譴, 在所不已, 而迎送有弊, 姑此寬假, 委折爲先査問, 罪狀從後稟處。