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승정원일기 81책 (탈초본 1482책) 정조 5년 3월 11일 갑신 25/24 기사 1781년  乾隆(淸/高宗) 46년

    ○ 辛丑三月十一日辰時, 上御誠正閣。禮房承旨入侍時, 左承旨徐有防, 假注書趙興鎭, 記事官徐龍輔·鄭東浚, 以次進伏訖。上命讀祭報府, 有防讀奏訖。有防曰, 健元陵獻官, 初以鄭昌聖塡差矣。有實恙呈訴, 故以尹東晢改付標, 則又以犯染不得入來, 未免臨時生事之境, 以西溪君塡差, 而年過七十, 似難行祀云矣。上曰, 然則以昨日入直兵曹堂上塡差, 以爲受香之地。傳香承旨往仁政殿月臺, 獻官及諸執事申飭整齊, 然後傳香之意, 分付。賤臣承命分付後, 還入進伏。上曰, 昨日見內閣箚子, 則博考故事, 儘有所據, 文亦善作。予甚嘉乃, 舊摠府亦是孝廟朝直所, 則移奉御製懸板, 事不偶然矣。有防曰, 新舊摠府, 皆是兩朝所御處, 則移居舊摠府, 少無如何之端矣。上曰, 內閣移設於摠府後, 則始成貌樣, 誠可幸也。有防曰, 聖敎至當矣。上曰, 在前江都御製御筆奉安時, 盛之杻籠, 馱之卜馬, 使一中官陪進, 故事面極甚不敬。今則內閣旣設之後, 御製文字, 無不句管, 則陪進之際, 依新定式擧行, 可謂不易之正論矣。有防曰, 閑慢書籍, 其在尊敬之道, 固不敢褺慢, 御製文字, 事體何等重大, 而豈敢依前謬例乎? 昨日新定式處分, 極爲至當矣。命退, 承史以次退出。

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