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승정원일기 81책 (탈초본 1501책) 정조 6년 1월 8일 을사 18/20 기사 1782년  乾隆(淸/高宗) 47년

    ○ 執義兪彦鏶疏曰, 伏以三陽肇始, 萬品萌發, 恭惟聖德, 對時懋昭, 富有日新, 臣竊不勝瞻望顒祝之至。仍念臣之虛縻見職, 凡幾年矣。雖疾病益痼, 神精益耗, 不能以平人自居, 而若其久據匪分, 如縛求解, 則何嘗一日不耿結于中也? 然而亦不敢輒申懇辭者, 蓋以前此, 或以賤陋名姓, 仰煩崇聽, 則特遣史官, 傳宣聖批, 是則冀免誤恩, 而反辱異數, 尤非賤分之所敢出。故紙自泯默縮伏, 恭俟處分, 一年二年, 仍舊見帶, 旣未蒙鐫改之恩, 又莫效自處之義。病裏惶恧, 如添一病, 夙宵靡寧, 以至于今矣。噫, 臣之不稱之實, 難强之疾, 曾已累次陳述, 庶幾天日之明, 俯燭無餘, 今不敢每擧, 以溷宸聰, 姑且以公家事言之。夫臺閣爲職, 非比庶官, 有闕, 則輒入政稟, 在外, 則或賜變通, 不容一時暫曠, 必使諸員俱備者, 誠以淸朝耳目之寄, 最重且緊, 不得不然, 而今乃委命於草莽垂死之喘, 空疎之資, 癃廢之軀, 萬無冒進强策之勢, 而節次移陞, 一向羈縻, 遂使掌憲之地, 緣臣自畫, 而便作六七年虛窠, 私心悚蹙難安, 固不暇言, 而朝家事例, 豈容一任其瘝曠, 而莫之恤也? 此在國體, 所關非細, 而臣若徒懷猥越之懼, 復延時月之久, 則是臣無所肖似之身, 始旣上累聖簡, 終又致損國體, 其爲罪也, 尤有大於干冒威尊。於是乎反復思惟, 不得不仰暴血懇。伏願天地父母, 察臣所辭, 亶出肝膈, 亟遞見任, 仍刊選籍, 得以安守田畝, 以没餘齒, 則其於聖朝遂物之仁, 懋實之政, 未必無少補矣。惟聖明之財幸焉。臣無任屛營祈懇之至。答曰, 省疏具悉爾懇。遐心莫回, 祇切歉愧。際見來章, 控執猶復如前, 虛佇之餘, 益覺悵歎。雖因爾弟, 稔聞爾宿恙之難强, 第今春和在卽, 如欲就途, 似不至甚艱, 爾其念予至意, 竢少間, 必須上來登筵。仍傳曰, 此批答, 遣史官傳諭。

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