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승정원일기 82책 (탈초본 1514책) 정조 6년 7월 20일 을묘 45/53 기사 1782년  乾隆(淸/高宗) 47년

    林錫喆, 以兵曹言啓曰, 都摠府草記傳曰, 此等草記, 何必賜答? 以休紙出給, 所謂摠管輩, 不識東西, 作此劻勷之擧, 擅離衛府, 而府有下吏, 初不據例挽執之狀, 極爲痛駭, 令兵判明日開坐, 其空曠直所, 干犯師律之罪, 査問草記事, 命下矣。依下敎, 都摠府書吏趙允興處, 發問目取招問目內, 摠府堂郞之入直摠府者, 事當不離直所, 檢察直所內凡事, 而入直堂上之擅離直次, 來坐他處, 自歸於干犯師律之科者, 有何委折? 其間事狀, 從實直招, 則所告內, 入直堂上, 連坐直所, 不暫離次矣。昨日聞馬匹逸入闕門內之報, 不勝驚惶, 不敢稍遠坐在, 來詣政院近處, 恭俟處分, 此外無他可達之辭云。故更爲發問目査問, 取招問目內, 堂上雖或爲俟處分, 離次來詣, 汝爲該吏, 宜以宿衛重地, 不可暫離之意, 據例挽執, 而不此之爲, 致使堂上, 至於擅離之境, 此必有委折而然矣。無如前招之漫漶, 毋隱納供, 則所告內, 堂上則驚惶之至, 有此離次之擧, 而矣身以愚迷之甚, 未知府中事例, 不能據例而爭, 竟使堂上犯此重科, 此莫非矣身之罪, 此外實無他可達之辭云矣。旣有査問之命, 爲先取招以入之意, 敢啓。傳曰, 後復如是, 則堂郞處分之外, 該吏當重治, 以此嚴飭分付, 今番姑爲放送。

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