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승정원일기 82책 (탈초본 1514책) 정조 6년 7월 20일 을묘 49/53 기사 1782년  乾隆(淸/高宗) 47년

    ○ 壬寅七月二十日巳時, 上御誠正閣。藥房三提調入侍時, 都提調鄭弘淳, 提調鄭民始, 副提調嚴璹, 假注書趙衍德, 編修官孫碩周, 記注官金健修, 醫官吳道炯·丁文壽, 以次進伏訖。弘淳曰, 夜間聖體諸節, 若何? 上曰, 氣滯之症, 夜來添苦, 至四更就寢矣。弘淳曰, 伏承下敎, 不勝焦悶之至, 醫官今旣入來, 診察聖候, 宜矣。命醫官診候, 道炯曰, 左三部果爲沈靜, 而右三部略有滯症矣。文壽曰, 氣候尙未淸和, 更進湯劑宜矣。命書榻敎曰, 進御加味六和湯, 前方中去檳榔·木香, 加便香附一錢煎入。曰, 右副承旨方以犯染, 不得承牌云矣。以右副承旨兪彦鉉違牌傳旨, 命書傳敎曰, 聞有實故, 許遞, 前望單子入之。弘淳曰, 昨日逸馬之突入闕門, 誠亦可怪矣。上曰, 然矣。民始曰, 聞是司僕退馬, 故有此逸入之弊云矣。上曰, 司僕馬常時無牽入門, 故果有此弊云, 其委折今果査實乎? 民始曰, 與一提調, 方有往復云矣。命書榻敎曰, 明日出宮門路, 以協陽門爲之。又命書榻敎曰, 明日望拜禮後, 奉室奉審, 該房知悉。命退, 諸臣以次退出。

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