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승정원일기 82책 (탈초본 1514책) 정조 6년 7월 26일 경인[신유] 23/23 기사 1782년  乾隆(淸/高宗) 47년

    ○ 壬寅七月二十六日酉時, 上御誠正閣。軍士房承旨入侍時, 右承旨金宇鎭, 假注書趙衍德, 記注官金健修·金鳳顯, 以次進伏訖。上曰, 沈念祖發配草記, 以允字頒布事, 分付。賤臣承命出傳。命書榻敎曰, 庭鞫明日爲之。上曰, 大司憲·大司諫前望單子入之。賤臣承命出持入。上曰, 推考房承旨申退乎? 宇鎭曰, 罪人今方入來, 故不爲出去矣。命書榻敎曰, 推考房承旨入侍。賤臣承命出, 與李在學偕入進伏。上曰, 推考房承旨, 明日勿爲仕進, 直往鞫座, 可也。命在學先退。命書傳敎曰, 政官牌招開政。上曰, 同副承旨入侍事, 分付。健修承命出, 與李時秀偕入進伏。上曰, 臺諫牌去來知入。賤臣承命出回奏曰, 皆爲牌不進云矣。上曰, 臺諫牌不進罷職傳旨, 今當踏下, 今日政, 盡爲差出事, 分付。賤臣承命出傳。命書傳敎曰, 罪人上闕單子, 勿爲入啓, 待開坐直爲擧行事, 分付。又命書傳敎曰, 昨日沈念祖等合辭, 決知非出於忠憤, 不過妄加臆逆, 欲作希旨之歸, 以是略示之薄警, 則又爲此嘗試之習者, 極爲無嚴。校理李泰永, 罷職不敍, 原疏給之。時秀曰, 校理李泰永, 纔已罷職, 玉堂上下番俱空, 事甚未安, 今日政, 新除授玉堂, 待下批牌招入直, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條  命退, 承史以次退出。

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