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승정원일기 82책 (탈초본 1515책) 정조 6년 8월 1일 을축 22/23 기사 1782년  乾隆(淸/高宗) 47년

    ○ 備忘記, 向予爲大臣無隱之一語, 忽作許多合辭之階梯, 惹生層瀾, 止泊無期。蓋三司之大論, 卽一國之公議, 惟停惟否, 固知非自上所可干涉, 而然於玆事, 有反是者發也。旣出於希旨, 安得不明言其不然乎? 以是致有前諫長投竄之擧, 非不念臺閣之可尊, 不如是, 將無以明好惡, 而鎭浮囂故耳。況重臣何曾有負國護賊之跡耶? 重臣本末, 予所洞知, 以懲討爲芻豢, 以言議爲茶飯, 若登筵席, 未始不以認賊爲子四字, 惓惓進戒, 考之起居注, 瞭如可徵, 借或處事, 雖出無妄, 論其本心, 夫豈有他? 一有蹉跌, 便欲擠之於坑塹, 實非朝廷之美風, 予則以爲, 似此言論, 不如無之爲愈也。予之前後飭敎, 不出寅協保合, 而三司之臣, 猶有此等之習, 更安用飭敎爲哉? 予所慨咄者, 上下不孚, 妄欲承望, 重爲臺閣之羞耳。玆又不得不申諭, 庶幾諒予之苦心否乎。噫, 朝象世道, 日就板蕩。使小大注措, 事事得宜, 尙懼不克矯捄, 奈之何扤捏劻勷, 至此之甚也? 中宵繞壁, 寧欲無吪, 擬俟來朝賓對, 悉道未悉之蘊, 政院以此傳敎, 謄宣諸臣待漏之所, 俾各另思對揚之方。

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