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승정원일기 82책 (탈초본 1528책) 정조 7년 3월 6일 정유 55/64 기사 1783년  乾隆(淸/高宗) 48년

    ○ 行判中樞府事鄭弘淳, 領敦寧府事洪樂性疏曰, 伏以, 臣等於申應顯之疏, 雖未見全本, 略聞其一二句語之流傳者, 則其旨意之深緊, 實非意慮之所及, 誠不勝震懍駭惑, 莫測其所以。噫, 昨秋以前, 擧國上下, 只切顒祝之誠, 孰懷然疑之心, 此固臣子之常情, 事理之當然, 抑未知應顯, 獨能預料於當時, 爲說於今日乎。聖明在上, 洞燭而嚴斥之者, 靡有餘蘊, 臣何敢更有論說, 而第欺蔽, 人臣之大罪也。小事尙爾, 況於玆事, 苟有欺蔽之萌於心, 則雖令湛宗, 猶不足贖其萬一, 彼所諉罪, 雖在醫官, 身居保護之地, 一任醫官, 恣其欺蔽, 則其爲罪當如何? 臣等於此, 雖欲自安, 有不可得, 玆敢仰首鳴號。伏乞聖慈, 俯垂鑑諒, 亟賜處分焉。答曰, 省箚具悉。卿等之懇, 予之所主張也, 予之所篤信也。至于今, 予惑尙未得渙然氷釋, 所謂醫官, 雖欲容喙, 焉敢獲已, 曰若欺蔽云云。語彙太不成理, 句作自有傳法, 予不擸掇而窮究之者, 姑欲任他俾露其眞面目也。且以伊時事勢言之, 予年已晼晩, 未見斯男之慶, 人心靡繫, 國勢日孤, 當是時也。苟非向日一種異趣之徒, 梟腸獍肚, 寧有些毫然疑於其間哉? 此天理人情之所固然, 彼申應顯, 亦豈眞有不知, 而肆此口氣, 特急於嘗試, 未暇及乎反拙之爲嫌也。予雖無能, 決不爲此輩所玩弄矣。至於卿等之陳箚替引, 可謂千萬意外, 卿等安心勿復控辭。仍傳曰, 此批答, 遣史官, 傳諭于鄭判府事·洪領敦寧

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