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승정원일기 83책 (탈초본 1537책) 정조 7년 7월 30일 기미 41/41 기사 1783년  乾隆(淸/高宗) 48년

    ○ 癸卯七月三十日酉時, 上御誠正閣。吏房承旨與下直守令入侍時, 右承旨李在學, 假注書徐瀅修, 記事官李崑秀·尹行任, 淮陽府使李敬養, 加平郡守黃昇源, 以次進伏訖。上命進前, 敬養進前。上問職姓名, 對曰, 淮陽府使臣李敬養也。昇源進前, 上問職姓名, 對曰, 加平郡守臣黃昇源也。上問七事訖, 上曰, 下去爲治, 必如前倅, 可也。淮陽地僻事閑, 可以將往乎? 敬養曰, 當將往矣。上曰, 不猶愈於吏參之夙夜奔奏乎? 敬養曰, 偏荷聖恩, 得以便養, 感祝無地矣。上曰, 昨今事何爲至此? 敬養曰, 隨事顚錯, 惶悚無地矣。上曰, 加平亦當率眷乎? 昇源曰, 下去後, 當觀勢爲之矣。上曰, 稍去淸涼之地, 亦可少休矣。命宣諭後先退, 仍命政望催促, 窠闕使之盡爲差出。賤臣承命出傳, 還入進伏。上命書傳敎曰, 本職則旣皆仍任, 在外參贊許遞, 前參贊金華鎭仍任。書訖。命退, 諸臣以次退出。

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