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승정원일기 83책 (탈초본 1538책) 정조 7년 8월 6일 을축 26/26 기사 1783년  乾隆(淸/高宗) 48년

    ○ 癸卯八月初六日酉時, 上御誠正閣。召待入侍時, 參贊官趙尙鎭, 侍讀官李太亨, 檢討官李錫夏, 待敎尹行任, 假注書金孝建, 記注官金龍顯, 記事官李崑秀, 以次進伏訖。上命讀國朝寶鑑, 太亨等讀自第十五篇恭懿王大妃弗豫, 止雖不敏, 敢不佩服, 二十六板訖。上下詢文義。太亨曰, 謹按宣廟朝, 以星變而延訪群臣, 因地震而下敎自責。祖宗朝遇災修省之念, 實爲後世監法之要, 而第伏見修省於遇災之日, 莫若常時警省, 悅豫天心, 自底於無災之休也。伏惟我殿下, 於向日悶旱之時, 深軫弭災之道, 至誠求助, 辭旨藹然, 有足以格天而感神, 則果然絲綸纔降, 甘霈隨洽, 其在瞻聆, 孰不欽歎, 而顧今無災之日, 尤貴加勉之工。伏願深留聖念, 凡所以寅畏修省之方, 勿以無災而或間焉。上曰, 好矣。錫夏曰, 謹稽宣廟朝承旨姜緖, 因經筵入侍, 論驕字甚切, 其所陳達, 極涉狂戇, 而伊時相臣, 以天顔無厭聞之色, 至引君仁臣直之語, 有所贊歎之者, 以此觀之, 先朝容直之量, 固不待加勉, 而姜緖之陳戒如此者, 蓋出於憂治世危明主之意也。下之所陳勉, 上之所包容, 足以見當時盛事, 而當法祖宗之要, 尤在於是。伏願於此等處, 深軫監範之道焉。上曰, 待敎陳之。行任曰, 此卷卽宣廟盛際也。治謨洋溢, 政法焜燿, 攘黜群凶, 登崇諸賢, 用李珥而置經筵, 招成渾而拜臺閣, 德已成矣, 治已化矣。然而成湯之工, 恒勉丕顯, 文王之心, 猶不自滿, 遇災而延訪群臣, 因寒而軫念戍卒, 憂民用賢之意, 藹然於絲綸之間, 臣不勝欽仰感歎。古人曰, 欲法·, 當法祖宗, 若於廈氈之上, 日日監省, 隨事師法, 則祖宗朝嘉言良謨, 可復見於今矣。伏願聖上留神焉。上曰, 所奏好矣。上曰, 參贊官, 陳文義, 可也。尙鎭曰, 上下番玉堂與閣臣所陳, 實爲穩當, 臣則無別見仰達者矣。上顧謂錫夏曰, 汝爲湖西京試官, 何日當爲辭陛? 錫夏曰, 初九日欲辭朝矣。上曰, 汝於沿路及道內, 採訪民隱, 庸副予軫遠之意也。經幄之臣, 與他自別, 古或有此等事矣。仍命退, 諸臣以次退出。

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