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승정원일기 83책 (탈초본 1538책) 정조 7년 8월 12일 신미 13/17 기사 1783년  乾隆(淸/高宗) 48년

    ○ 校理徐有成疏曰, 伏以, 臣自遭今春臺評以後, 玉署一步, 鐵限已成, 復豈有一分冒進之望哉? 相規之言, 臣實受罪, 而若其焉用之斥, 便一改正之目, 言之者雖曰無情, 當之者實難自掩。歷數古今, 名以三司, 得此題目而抗顔復出者, 更有何人? 伊後見職之重叨也, 聖度曲諒, 特許恩遞, 體下之私, 感祝至今, 豈可以時月之稍久, 自同無故之身, 揚揚出脚, 重自陷於壞四維之科哉? 前後可言之情勢, 非一非再, 而只此一事, 尤係難進之一端, 臣用是惶隘, 凡有除命, 不敢爲趨承之計。每犯一番違逋, 輒增一番罪戾, 今又新除之下, 轉動無路, 纔違嚴召, 罰止問備, 臣之情事, 吁亦窮且蹙矣。玆敢隨牌詣闕, 露章自列。伏乞天地父母, 俯垂鑑諒, 亟許鐫削臣職名, 仍令選部, 勿復檢擬, 使朝綱肅而微分安焉。臣雖不敢以見職自居, 而第於目下事, 竊有所含默不得者。柳戇之甘心背國, 傾身附賊, 爪牙於國榮, 心腹於德相, 論其負犯, 島配猶輕, 至若趙文彦, 以靖世之子, 不思自處之道, 敢生訟冤之計, 其無嚴放恣, 無復餘地, 而金吾草記, 休紙還下, 玉署拜箚, 兪音又靳, 臣實不勝慨惋之至。近來世道日下, 隄防日壞, 有識隱憂, 固已久矣, 而朝家之擧措, 又從而失當, 此豈細故也哉? 臣謂柳戇·趙文彦, 亟命發配, 使凶徒知有國法, 輿憤得以少洩, 斷不可已也。省疏具悉。處分意在矣, 爾其勿辭察職。

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