○ 徐龍輔, 以刑曹言啓曰, 編配夥然可悶, 其中最無形一二人, 更定配所草記, 餘則自本曹, 參酌治罪放送, 可也事, 命下矣。以冒濫鳴金之罪, 論勘蒙允者, 凡爲七人, 而其中李仁輔, 以馬梁鎭校, 果有所推之物於遞來鎭將, 則卽呈法曹, 容或無怪, 今於舊鎭將申碩徵, 身故之後, 始有此呼籲之擧, 雖欲覈査, 旣無兩造之階梯。又沒與受之文跡, 其計乃以然疑之事, 欲徵於申碩徵之孤兒者, 明若觀火, 論其情狀, 則冒濫之外, 實涉狡惡, 李命梓其父海寅, 濫殺人命, 方在推覈, 而本道査案, 臣曹覆啓, 姑未判下, 則事當縮伏鄕里, 恭俟處分之不暇, 而乃敢再次鳴金, 至請速出獄門, 雖曰爲父, 究厥罪狀, 冒濫之中, 尤極冒濫。此兩人比之同罪諸人, 最爲不輕, 揆以杜後弊之道, 不可不從重勘斷, 李仁輔全羅道礪山府, 李命梓慶尙道寧海府, 竝徒三年定配, 卽爲押送, 其餘李德中·姜啓殷·黃碩龍·李普顯·金召史等, 竝自臣曹, 科治放送之意, 敢啓。傳曰, 知道。