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승정원일기 84책 (탈초본 1578책) 정조 9년 3월 8일 정사 18/32 기사 1785년  乾隆(淸/高宗) 50년

    ○ 同副承旨洪秉聖啓曰, 臣敬奉聖諭, 馳往傳諭于西部龍山坊兄弟井契議政府領議政徐命善所住處, 則以爲, 臣蒼黃逬出, 喘息未定, 近密之臣, 齎傳聖諭於深夜荒江之外, 而十行恩言, 丁寧懇惻, 諒臣以無怪深引, 慰臣以不足煩慮, 至於曲保拯濟之敎, 尤是天地生成之至仁大德, 人臣之得此於君父者, 從古幾人, 奉讀未半, 聲淚俱發。臣於前後人言, 仰體無辨之聖訓, 一未嘗呶呶較詰, 而今番所遭, 愈益憯毒, 顧何忍泚筆汚口, 與之說往說來哉? 臣之當初入城, 亦在臺疏已出之後, 非不知廉隅之放倒, 去就之卽當, 特以親鞫有命, 獄情驚心, 區區私義, 有不暇恤, 而時則臺批未下, 原疏未播, 隱忍遲徊, 尙有其說, 今於批下疏播之後, 臣又諉之以先公後私, 着帽束帶, 自同平人, 晏然出入於禁闥之內, 則是不但放恣無憚, 重招譏議, 其爲羞淸朝而辱搢紳, 當復如何? 臣雖萬被誅戮, 職名未解之前, 一步城闉, 決無復入之望。嗚呼, 受恩如天, 孤負至此, 瞻望宸極, 有隕如瀉, 承宣之一刻相守, 尤增惶隘, 先卽召還。仍勘臣方命之罪, 伏地顒祝云, 臣旣承偕入之命, 姑爲仍留之意, 敢啓。答曰, 知道。去夜敦諭, 罄予心腹, 庶幾卿之亟回遜志, 卽日入城, 及見承宣書啓, 控執冞固, 以遞爲期, 予則以爲過矣。然予於卿, 豈或設羈縻之說, 惟事敦迫爲哉? 日前賓廳登筵也, 已有眎意於卿者。然今鞫事未了, 此非卿言私之時, 卿須體予至意, 與偕來承宣造朝, 聽予面諭事, 更爲敦諭, 期於偕入。

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