○ 兼春秋承膺祚書啓, 臣敬奉聖諭, 馳往傳諭于南部會賢坊部越邊契, 議政府左議政洪樂性所住處, 則以爲蹙伏俟勘之中, 史官儼臨, 口布聖敎, 益不勝惶隕震懍, 罔知攸對。臣之向日次對之冒萬死出令進參, 實爲急於二十五日聯箚批旨中, 不敢承聞之敎, 反汗之請也。明日次對之不敢出令, 實爲晦日聯箚批旨中二字嚴敎, 雖蒙反汗之恩, 不勝感祝, 而至於二十五日嚴批, 仰陳筵席, 未蒙體諒, 附奏承宣, 終靳諭音。雖不敢更事煩聒, 而情踪轉益危蹙, 獨自揚揚冒進於公朝之會, 有非臣分之所敢出故也。觸事昏錯, 仰勤俯問, 又至於此, 罪上添罪, 靡所措躬, 伏地震越, 惟願速被嚴譴云矣, 敢啓。傳曰, 知道。