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승정원일기 85책 (탈초본 1596책) 정조 10년 2월 17일 신묘 25/29 기사 1786년  乾隆(淸/高宗) 51년

    ○ 大司憲尹承烈疏曰, 伏以, 臣年迫桑楡, 病又沈痼, 宜去之端, 非止一二, 而旅食京師, 遲徊淟涊者, 誠爲恩數曠絶, 涓埃莫報, 惟以筋力奔走, 爲萬一自效之圖, 而材地魯下, 知識瞢昧, 邇班出入, 補蔑絲毫, 漫職翶翔, 徒費廩料, 居常愧懼, 若隕淵谷。向於朝參博詢之日, 略掇前賢箚請之語, 竊附野人芹曝之獻, 不意錫弓之典, 便同賞功者然。噫, 臣之草草一言, 不過捃拾, 而至被非常之寵典, 祗受閤門之外, 感激隕越, 迨不自措。迺者憲長新命, 忽下於秋官待罪之時, 目下大論峻發, 公議齊憤之際, 揆以義分, 固當竭蹶趨承, 冀準合辭之請, 而第臣於府啓中尹得孚事, 有區區難便之端, 前已陳章自引, 到今處義, 宜無異同, 特敎之下, 荐犯違傲, 罪合萬殞, 實無所逃。伏乞聖明, 亟命鐫削臣職名, 因令重勘臣罪, 以肅朝綱, 以安私分, 不勝幸甚。臣於乞免之章, 何敢有所論列, 而憂憤所激, 略此附陳焉。噫嘻, 痛矣。今番治獄, 何其稽忽疎漏, 至此之甚耶? 絶悖凶書傳受, 極其明白, 窮凶逆節綢繆, 又盡綻露, 設鞫殆過三朔, 逮捕多至卄數, 而窩窟終未鉤覈, 勘斷竟歸草率, 蓋其凶書, 豈是一二鄕漢, 所可辦得者耶? 分等之敎, 雖出好生之德意, 按獄之地, 宜乎據法而力爭, 而初不覆難, 忙急擧行, 體國之義, 果安在哉? 日前處分, 仰認其出於警責, 而其在重獄體洩公憤之道, 不可以免相而止。伏願亟允三司之請。至若德夏之傳給凶書, 情跡至憯, 而忍杖抵賴, 徑斃獄中, 極其凶獰, 孥籍之典, 在所不已。載質等凶謀同參, 不啻狼藉, 德夏物故之後, 盤覈根因之道, 專在此類, 臣謂亟寢酌處之命, 卽令王府, 更爲拿來嚴訊, 期於得情。宋迪中則前後負犯, 萬萬叵測, 龍範就捕之前, 不可遽爾酌處, 亦願亟允臺請, 以重獄體焉。答曰, 省疏具悉。所陳悉諭諸批。本職已許遞矣。

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