○ 趙衍德, 以刑曹言啓曰, 昨日動駕時, 京畿果川居良人梁福同, 擊錚於衛外。故取考其原情, 則以爲其兄福乭, 辛丑年, 出債四十兩於廣州狎𩿨亭[狎鷗亭]李生員仁大家, 備給一百四十兩, 而渠與渠母, 幾死於李生之虐刑, 不知幾次。而以本留置, 督捧利殖, 何以當無厭之慾乎? 李生多聚無賴惡少年, 屠牛投錢, 而或限內不報, 則結縛亂打, 流血浪藉。如此豪强, 前古所無, 依律重繩, 爲民除害云矣。果如所供, 則李仁大之憑藉兩班, 侵虐江民, 濫捧債殖, 冒法豪强之狀, 誠萬萬痛惡。令本道嚴覈重繩, 俾杜後弊, 至於本事, 呈訴營邑, 何所不可, 而肆然以猥越謊雜之說, 無難煩籲。揆以民習, 極涉無嚴, 其罪狀自臣曹照法勘處, 何如? 傳曰, 允。果川亦有邑倅, 若能禁戢侵虐之罪, 豈有此呼訴? 申飭道伯, 本事, 各別詳査痛治, 可也。