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승정원일기 86책 (탈초본 1629책) 정조 11년 7월 2일 정묘 34/52 기사 1787년  乾隆(淸/高宗) 52년

    李敏采啓曰, 御營廳北風尙吹, 故事關宿衛, 如是汎忽, 此旣是該營字內, 則御將烏得無罪? 初欲先棍後罷, 今姑參酌, 而其委折問于該將臣以啓, 早朝起開窓見之, 若校若卒, 往來於前麓, 名以將臣, 其敢曰未及知之乎? 況軍校之不由闕門, 由頹垣處入來設把, 尤豈非驚駭事乎? 其委折一體問啓事, 命下矣。問于御營大將金持默處則以爲臣猥以無似之賤, 濫叨不敢當之職, 觸處迷暗, 隨事昏憒, 尋常事爲, 每不猶人, 日夕兢惶, 惟譴何是俟, 今於莫重宮墻之不能預先董飭, 致有問啓之命, 驚惶隕越, 罔知攸措。至於丹鳳門東邊宮墻頹圮處, 係是差備內至近之地, 其所審愼, 宜倍他處, 當初申飭校卒, 不啻申嚴, 而校卒之至愚至迷者, 不識事體之至重, 致此犯律之擧, 臣之昏謬, 於斯尤著, 一則臣罪, 二則臣罪, 合被萬殞云矣, 敢啓。傳曰, 名以大將, 諉罪校卒, 寧有如許道理乎? 雖曰無識老蔭, 業則箕裘, 地是戚畹[戚畹], 今於特敎問啓之下, 敢效文宰對奏之體, 本事委折, 專事漫漶, 爲先記過, 親問太疲, 卽爲招致啓板前, 使卽條對, 可也

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