○ 李敏采啓曰, 御營廳北風尙吹, 故事關宿衛, 如是汎忽, 此旣是該營字內, 則御將烏得無罪? 初欲先棍後罷, 今姑參酌, 而其委折問于該將臣以啓, 早朝起開窓見之, 若校若卒, 往來於前麓, 名以將臣, 其敢曰未及知之乎? 況軍校之不由闕門, 由頹垣處入來設把, 尤豈非驚駭事乎? 其委折一體問啓事, 命下矣。問于御營大將金持默處則以爲臣猥以無似之賤, 濫叨不敢當之職, 觸處迷暗, 隨事昏憒, 尋常事爲, 每不猶人, 日夕兢惶, 惟譴何是俟, 今於莫重宮墻之不能預先董飭, 致有問啓之命, 驚惶隕越, 罔知攸措。至於丹鳳門東邊宮墻頹圮處, 係是差備內至近之地, 其所審愼, 宜倍他處, 當初申飭校卒, 不啻申嚴, 而校卒之至愚至迷者, 不識事體之至重, 致此犯律之擧, 臣之昏謬, 於斯尤著, 一則臣罪, 二則臣罪, 合被萬殞云矣, 敢啓。傳曰, 名以大將, 諉罪校卒, 寧有如許道理乎? 雖曰無識老蔭, 業則箕裘, 地是戚畹[戚畹], 今於特敎問啓之下, 敢效文宰對奏之體, 本事委折, 專事漫漶, 爲先記過, 親問太疲, 卽爲招致啓板前, 使卽條對, 可也