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승정원일기 87책 (탈초본 1647책) 정조 12년 10월 3일 신묘 26/26 기사 1788년  乾隆(淸/高宗) 53년

    ○ 戊申十月初三日酉時, 上御別軍職廳, 右副承旨入侍時右副承旨金履正, 假注書白慶楷, 記注官金鳳顯, 記事官金祖淳, 以次進伏訖。上曰, 兵曹判書入侍。賤臣承命出, 與兵曹判書李文源, 偕入進伏。上命招入北道別付料軍官進前, 仍命宣傳官, 歷問年事及民間疾苦訖。上命宣傳官諭之曰, 今年年事, 七道則或豐登或免歉, 若使汝等所居之地, 雖難其稔, 猶能免荒, 則庶可弛宵旰一念, 而旣觀道啓, 又問汝等, 慘歉甚於癸卯云。予實食息靡甘, 夙夜憂虞, 凡係北路之所進貢者, 悉皆停免, 至於御服御供之需, 亦悉蕩減, 又於常賑之外, 罄出內帑之儲, 付御史以作別賑之資, 然而道里悠悠, 王化難曁, 所謂守宰, 未必皆其賢良, 慮或有從中弄奸, 致使予苦心, 閼而未宣。玆予召爾等面諭, 以蠲減停免之數, 爾等出而語親朋, 歸而告鄕隣, 勿謂年荒, 俾各奠接也。仍敎文源曰, 旣飭道臣, 又遣御史, 然而予猶恐其僻峽窮巷, 想必有不周之患, 卿其就渠輩中擇其詳明了了者二人, 給草料下往該道, 使之曉諭, 其未及曉諭者, 兼以詳探民情後, 上來, 可也。命退, 諸臣以次退出。

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