○ 金履正, 以兵曹言啓曰, 本曹結束色書吏, 移差以後, 比前自別, 而乍入乍出, 本色擧行, 每致生疎之患, 至於禁喧之時, 以其疲殘之故, 受杖於各司, 事極駭然。本色新差生疎之吏, 使之各歸該掌, 以前仕可堪結束之任者, 堂郞相議, 還屬本色, 自今爲始, 結束色書吏, 如非重罪, 則判堂以下, 不得任自除汰或換差, 以爲申嚴遵行之地, 何如? 傳曰, 允。左相在兵判時, 有筵稟定式之事, 而其後未過十年, 如是違越, 兵曹事萬萬可駭, 此後一依定式, 復舊釐正, 而渠輩雖曰下吏, 出入衛內, 無異掖屬, 兼有掌門禁禁喧譁之苦役, 朝家之顧恤, 安得不自別也? 年前首吏之特差事知, 旋除邊將, 出於重其事之意, 今若朝差夕換之不足, 被捽於某司, 被楚於某處, 則定式之例, 雖欲永久遵行, 其可得乎? 自今結束色下吏, 雖入直堂郞, 無得以一人己見除汰, 必須往復判堂, 爛熳歸一, 然後除汰, 而渠輩無異軍摠, 該色吏, 依軍案例作爲成冊, 一件送置該房, 一件藏置本曹, 各其姓名下, 書塡容疤及差役日月, 如是定式之後, 一有違越, 自堂上當施制書有違之律, 斷不可已, 以此嚴飭, 雖以推治事言之, 無論囚禁與治罪, 雖政院·內閣·政府三司, 必須往復於兵判, 然後決處, 一依軍門進來之例, 事亦爲定式施行, 可也。