○ 洪文泳, 以備邊司言啓曰, 平安兵使李敬懋辭陛, 已過一望, 而此月又將盡矣。不生不滅, 尙留城外, 今日另加催促, 招致其軍官, 問其果可作行與否, 則告以雖人夫擔舁, 萬無寸進之勢云。故又使備郞與備吏, 出往看審, 則其所回告, 一與軍官之言無異, 槪其病症, 專是中風, 左邊手脚, 雖以鍼亂刺, 不知鍼入, 右邊手脚, 比左雖若小勝, 猶不能使用。今若督令作行, 則使卜隷背負之外, 無他策云, 旣知其病勢如此, 則不可使强所不能, 而一望之內, 無所皁白。任意逗遛, 以至今日者, 揆以國體, 萬萬寒心, 李敬懋, 姑先削職, 何如? 傳曰, 朝者備郞傳諭, 俄於草記下敎, 出於尊國體正事面之意, 雖使病至於沈痼, 仍成籧篨, 若有省覺, 知一分分義, 則中道顚仆, 豈敢自恤, 而少爾則以背負二字, 作一話欛。閫帥行止, 有關師律, 裹革之義, 固如是乎? 病自病法自法, 爲先削職, 放逐鄕里。